四条金吾殿御返事2

〔C2・建治二年・四条金吾〕/はるかに申しうけ給はり候はざりつれば、いぶせく候ひつるに、かたがたの物と申し、御つかいと申し、よろこび入りて候。又まぼ(守)りまいらせ候。/所領の間の御事は、上よりの御文ならびに御せうそく引き合はせて見候ひ了んぬ。此の事は御ふみなきさきにすいして候。上には最大事とおぼしめされて候へども、御きんず(近習)の人々のざんそう(讒奏)にて、「あまりに所領をきらい、上をかろしめたてまつり候。ぢうあう(縦横)の人こそををく候に、かくまで候へば、且く御恩をばおさへさせ給ふべくや候らん」と、申すらんとすいして候なり。それにつけては御心えあるべし、御用意あるべし。我が身と申し、をや(親)・類親と申し、かたがた御内に不便といはれまいらせて候大恩の主なる上、すぎにし日蓮が御かんき(勘気)の時、日本一同ににくむ事なれば、弟子等も或は所領をををかた(大方)よりめされしかば、又方々の人々も、或は御内の内をいだし、或は所領ををいなんどせしに、其の御内になに事もなかりしは、御身にはゆゆしき大恩と見え候。このうへはたとひ一分の御恩なくとも、うらみまいらせ給ふべき主にはあらず。それにかさねたる御恩を申し、所領をきらはせ給ふ事、御とがにあらずや。/賢人は八風と申して八つのかぜにをかされぬを賢人と申すなり。利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり。をを心(むね)は利あるによろこばず、をとろうるになげかず等の事なり。此の八風にをかされぬ人をば、必ず天はまぼ(守)らせ給ふなり。しかるをひり(非理)に主をうらみなんどし候へば、いかに申せども天まぼり給ふ事なし。/訴訟を申せど叶はぬべき事もあり、申さぬに叶ふべきを、申せば叶はぬ事も候。夜めぐりの殿原の訴訟は、申すは叶はぬべきよしをかんがへて候ひしに、あながちになげかれし上、日蓮がゆへにめされて候へば、いかでか不便に候はざるべき。ただし訴訟だにも申し給はずば、いのりてみ候はんと申せしかば、さうけ給はり候ひぬと約束ありて、又をりかみ(折紙)をしきりにかき、人々訴訟ろんなんどありと申せし時に、此の訴訟よも叶はじとをもひ候ひしが、いままでのびて候。だいがくどの(大学殿)ゑもんのたいうどの(右衛門大夫殿)の事どもは、申すままにて候あいだ、いのり叶ひたるやうにみえて候。はきりどの(波木井殿)の事は法門の御信用あるやうに候へども、此の訴訟は申すままには御用ゐなかりしかば、いかんがと存じて候ひしほどに、さりとてはと申して候ひしゆへにや候ひけん、すこし、しるし候か。これにをもうほどなかりしゆへに、又をもうほどなし。だんな(檀那)と師とをもひあわぬいのり(祈)は、水の上に火をたくがごとし。又だんなと師とをもひあひて候へども、大法を小法をもってをか(犯)してとしひさ(年久)しき人々の御いのりは叶ひ候はぬ上、我が身もだんなもほろび候なり。/天台の座主明雲と申せし人は第五十代の座主なり。去ぬる安元二年五月に院勘をかほりて伊豆国へ配流。山僧大津よりうばいかえす。しかれども又かへりて座主となりぬ。又すぎにし寿永二年十一月に義仲にからめとられし上、頸うちきられぬ。是れはながされ頸きらるるをとが(失)とは申さず。賢人聖人もかかる事の候。但し源氏の頼朝と平家の清盛との合戦の起こりし時、清盛が一類二十余人起請をかき連判をして願を立て、平家の氏寺と叡山をたのむべし。三千人は父母のごとし、山のなげきは我等がなげき、山の悦びは我等がよろこび、と申して、近江の国二十四郡を一向によせて候ひしかば、大衆と座主と一同に、内には真言の大法をつくし、外には悪僧どもをもて源氏をい(射)させしかども、義仲が郎等ひぐち(樋口)と申せしをのこ(男)、義仲とただ五六人計り、叡山中堂にはせのぼり、調伏の壇の上にありしを引き出だしてなわ(縄)をつけ、西ざか(坂)を大石をまろばすやうに引き下ろして頸をうち切りたりき。かかる事あれども日本の人々、真言をうとむ事なし、又たづぬる事もなし。/去ぬる承久三年辛巳の五・六・七の三箇月が間、京・夷の合戦ありき。時に、日本国第一の秘法どもをつくして、叡山・東寺・七大寺・園城寺等、天照太神・正八幡・山王等に一々に御いのりありき。其の中に日本第一の僧四十一人なり。所謂前の座主慈円大僧正・東寺・御室・三井寺の常住院の僧正等は度々義時を調伏ありし上、御室は紫宸殿にして六月八日より御調伏ありしに、七日と申せしに同じく十四日にいくさにまけ、勢多迦が頸きられ、御室をも(思)ひ死に死しぬ。かかる事候へども、真言はいかなるとがともあやしむる人候はず。をよそ真言の大法をつくす事、明雲第一度、慈円第二度に、日本国の王法ほろび候ひ畢んぬ。今度第三度になり候。当時の蒙古調伏此れなり。かかる事も候ぞ。此れは秘事なり。人にいはずして心に存知せさせ給へ。/されば此の事御訴訟なくて、又うらむる事なく、御内をばいでず、我かまくら(鎌倉)にうちいて、さきざきよりも出仕とを(遠)きやうにて、ときどきさしいでておはするならば、叶ふ事も候ひなん。あながちにわるびれてみえさせ給ふべからず。よく(欲)と名聞・瞋りとの