大井荘司入道御書

〔C6・建治二年二月・大井荘司入道〕/柿三本・酢一桶・くくたち・土筆給はり候ひ畢んぬ。/唐土天台山と云ふ山に竜門と申して百丈の滝あり。此の滝の麓に、春の初めより登らんとして多くの魚集まれり。千万に一も登ることを得れば竜となる。魚、竜と成らんと願ふこと、民の昇殿を望むが如く、貧なるものの財を求むるが如し。仏に成ることも亦此の如し。彼の滝は百丈、早き事、強兵の天より箭を射徹すより早し。此の滝へ魚登らんとすれば、人集まりて羅網をかけ、釣りをたれ、弓を以て射る。左右の辺に間なし。空には鵰・鷲・鵄・烏、夜は虎・狼・狐・狸何にとなく集まりて食らひ噬む。/仏になる事も是れを以て知んぬべし。有情輪廻生死六道と申して、我等が天竺に於て師子と生まれ、漢土日本に於て虎狼野干と生まれ、天には鵰・鷲、地には鹿・蛇と生まれしこと数をしらず。或は鷹の前の雉、猫の前の鼠と生まれ、生きながら頭をつつき、ししむらをかまれしこと数をしらず。是の如く捨て置きし一劫が間の身の骨は、須弥山よりも高く、大地よりも厚かるべし。惜しき身なれども、云ふに甲斐なく奪はれてこそ候ひしか。然らば今度法華経の為に身を捨て命をも奪はれたらば、無量無数劫の間の思ひ出なるべしと思ひ切り給ふべし。穴賢穴賢、又々申すべし。恐々謹言。/日蓮花押/大井荘司入道殿