観心本尊得意抄

〔C6・弘安元年一一月二三日・富木常忍〕/鵞目一貫文、厚綿の白小袖一つ、筆十管、墨五丁給はり畢んぬ。/身延山は知ろし食す如く冬は嵐はげしく、ふり積む雪は消えず、極寒の処にて候間、昼夜の行法もはだうすにては堪へ難く辛苦にて候に、此の小袖を著ては思ひ有るべからず候なり。商那和修は付法蔵の第三の聖人なり。此の因位を仏説いて云く「乃往過去に病の比丘に衣を与ふる故に、生々世々に不思議自在の衣を得たり」。今の御小袖は彼れに似たり。此の功徳は日蓮は之れを知るべからず。併しながら釈迦仏に任せ奉り畢んぬ。/抑今の御状に云く、教信の御房、観心本尊抄の「未得」等の文字に付きて迹門をよまじと疑心の候なる事、不相伝の僻見にて候か。去ぬる文永年中に此の書の相伝は整足して貴辺に奉り候ひしが、其の通りを以て御教訓有るべく候。所詮在々処々に迹門を捨てよと書きて候事は、今我等が読む所の迹門にては候はず、叡山天台宗の過時の迹を破し候なり。設ひ天台・伝教の如く法のままありとも、今末法に至りては去年の暦の如し。何に況や慈覚より已来、大小権実に迷ひて大謗法に同ずるをや。然る間像法の時の利益も之れ無し。増して末法に於てをや。一北方の能化難じて云く、爾前の経をば未顕真実と捨て乍ら、安国論には爾前の経を引き、文証とする事自語相違と。不審の事前々申せし如し。総じて一代聖教を大いに分かちて二と為す。一には大綱、二には網目なり。初めの大綱とは成仏得道の教なり。成仏の教とは法華経なり。次に網目とは法華已前の諸経なり。彼の諸経等は不成仏の教なり。成仏得道の文言、之れを説くと雖も但名字のみ有りて其の実義は法華に之れ有り。伝教大師の決権実論に云く「権智の所作は唯名のみ有りて実義有ること無し」云云。但し権教に於ても成仏得道の外は説相空しかるべからず、法華の為の網目なるが故に。所詮成仏の大綱を法華に之れを説き、其の余の網目は衆典に明かす。法華の為の網目なるが故に法華の証文に之れを引き用ゐるべきなり。其の上法華経にて実義有るべきを、爾前の経にして名字計りののしる事全く法華の為なり。然る間尤も法華の証文となるべし。/問ふ、法華を大綱とする証如何。答ふ、天台は「当に知るべし、此の経は唯如来説教の大綱を論じて網目を委細にせざるなり」となり。問ふ、爾前を網目とする証如何。答ふ、妙楽の云く「皮膚毛綵衆典に出在せり」云云。問ふ、成仏は法華に限ると云ふ証如何。答ふ、経に云く「唯一乗の法のみ有りて二も無く亦三も無し」文。問ふ、爾前は法華の為との証如何。答ふ、経に云く「種々の道を示すと雖も其れ実には仏乗の為なり」。委細に申し度く候と雖も、心地違例して候程に省略せしめ候。恐々謹言。/十一月二十三日日蓮花押/富木殿御返事/帥殿の物語りしは、下総に目連樹と云ふ木の候よし申し候ひし。其の木の根をほりて十両ばかり、両方の切目には焼金を宛てて、紙にあつくつつみて風ひかぬ様にこしらへて、大夫次郎が便宜に給はり候べきよし御伝へあるべく候。