蒙古使御書

〔C6・建治元年九月・西山殿〕/鎌倉より事故なく御下りの由承り候ひて、うれしさ申す計りなし。/又蒙古の人の頸を刎られ候事承り候。日本国の敵にて候念仏・真言・禅・律等の法師は切られずして、科なき蒙古の使ひの頸を刎ねられ候ひける事こそ不便に候へ。子細を知らざる人は勘へあてて候を、おごりて云ふと思ふべし。此の二十余年の間、私には昼夜に弟子等に歎き申し、公には度々申せし事是れなり。/一切の大事の中に国の亡ぶるが第一の大事にて候なり。最勝王経に云く「害の中の極めて重きは国位を失ふに過ぎたること無し」等云云。文の心は、一切の悪の中に国王と成りて政悪しくして、我が国を他国に破らるるが第一の悪しきにて候と説かれて候。又金光明経に云く「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に、乃至、他方の怨賊来たりて国人喪乱に遭はん」等云云。文の心は、国王と成りて悪人を愛し、善人を科にあつれば、必ず其の国他国に破らるると云ふ文なり。法華経第五に云く「世に恭敬せらるること六通の羅漢の如くならん」等云云。文の心は、法華経の敵の相貌を説いて候に、二百五十戒を堅く持ち、迦葉・舎利弗の如くなる人を国主これを尊みて、法華経の行者を失なはむとするなりと説かれて候ぞ。夫れ大事の法門と申すは別に候はず、時に当たりて我が為国の為大事なる事を、少しも勘へたがへざるが智者にては候なり。仏のいみじきと申すは、過去を勘へ未来をしり三世を知ろしめすに過ぎて候御智恵はなし。設ひ仏にあらねども、竜樹・天親・天台・伝教なんど申せし聖人賢人等は、仏程こそなかりしかども、三世の事を粗知ろしめされて候ひしかば、名をも未来まで流されて候ひき。所詮万法は己心に収まりて一塵もかけず、九山八海も我が身に備はりて、日月衆星も己心にあり。然りといへども盲目の者の鏡に影を浮かべるに見えず、嬰児の水火を怖れざるが如し。外典の外道、内典の小乗、権大乗等は皆己心の法を片端片端説いて候なり。然りといへども法華経の如く説かず。然れば経々に勝劣あり、人々にも聖賢分かれて候ぞ。法門多々なれば止め候ひ畢んぬ。/鎌倉より御下りそうそうの御隙に使者申す計りなし。其の上種々の物送り給び候事悦び入りて候。日本は皆人の歎き候に日蓮が一類こそ歎きの中に悦び候へ。国に候へば蒙古の責めはよも脱れ候はじ。なれども国のために責められ候ひし事は天も知ろしめして候へば、後生は必ずたすかりなんと悦び候に、御辺こそ今生に蒙古国の恩を蒙らせ給ひて候へ。此の事起こらずば最明寺殿の十三年に当たらせ給ひては、御かりは所領にては申す計りなし。北条六郎殿のやうに筑紫にや御坐しなん。是れは各々の御心のさからせ給ひて候なり。人の科をあてるにはあらず。又一には法華経の御故にたすからせ給ひて候ひぬるが、ゆゆしき御僻事なり。是れ程の御悦びまいりても悦びまいらせ度く候へども、人聞きつつましく候ひてとどめ候ひ畢んぬ。/乃時日蓮花押/西山殿御返事