御衣並単衣御書

〔C0・文永七年九月二八日・富木常忍〕/御衣の布、並びに御単衣給はり候ひ了んぬ。鮮白比丘尼と申せし人は、生まれさせ給ひて御衣をたてまつりたりけり。生長するほどに次第にこの衣大になりけり。後に尼とならせ給ひければ法衣となりにけり。ついに法華経の座にして記別をさづかる。一切衆生喜見如来これなり。又法華経を説く人は、柔和忍辱衣と申して必ず衣あるべし。/物だねと申すもの一なれども、うえぬれば多となり、竜は小水を多雨となし、人は小火を大火となす。衣かたびらは一なれども、法華経にまいらせさせ給ひぬれば、法華経の文字は六万九千三百八十四字、一字は一仏なり。此の仏は再生敗種を心符とし、顕本遠寿を其の寿とし、常住仏性を咽喉とし、一乗妙行を眼目とせる仏なり。「応化は真仏に非ず」と申して、三十二相八十種好の仏よりも、法華経の文字こそ真の仏にてはわたらせ給ひ候へ。仏の在世に仏を信ぜし人は仏にならざる人もあり。仏の滅後に法華経を信ずる人は「無一不成仏」とは如来の金言なり。この衣をつくりて、かたびらをきそえて法華経をよみて候わば、日蓮は無戒の比丘なり、法華経は正直の金言なり、毒蛇の珠をはき、伊蘭の栴檀をいだすがごとし。恐々謹言。九月二十八日日蓮(花押)/御返事