高橋入道殿御返事

〔C2・建治元年七月一二日・高橋六郎入道〕/進上高橋入道殿御返事日蓮/我等が慈父大覚世尊は、人寿百歳の時中天竺に出現しましまして、一切衆生のために一代聖教をとき給ふ。仏在世の一切衆生は過去の宿習有りて仏に縁あつかりしかば、すでに得道成りぬ。我が滅後の衆生をばいかんがせんとなげき給ひしかば、八万聖教を文字となして、一代聖教の中に小乗経をば迦葉尊者にゆづり、大乗経並びに法華経・涅槃等をば文殊師利菩薩にゆづり給ふ。但し八万聖教の肝心・法華経の眼目たる妙法蓮華経の五字をば迦葉・阿難にもゆづり給はず、又文殊・普賢・観音・弥勒・地蔵・竜樹等の大菩薩にもさづけ給はず。此等の大菩薩等ののぞみ申せしかども仏ゆるし給はず。大地の底より上行菩薩と申せし老人を召しいだして、多宝仏・十方の諸仏の御前にして、釈迦如来七宝の塔中にして、妙法蓮華経の五字を上行菩薩にゆづり給ふ。/其の故は我が滅後の一切衆生は皆我が子なり、いづれも平等に不便にをもうなり。しかれども医師の習ひ、病に随ひて薬をさづくる事なれば、我が滅後五百年が間は迦葉・阿難等に小乗経の薬をもって一切衆生にあたへよ。次の五百年が間は文殊師利菩薩・弥勒菩薩・竜樹菩薩・天親菩薩等、華厳経大日経般若経等の薬を一切衆生にさづけよ。我が滅後一千年すぎて像法の時には薬王菩薩・観世音菩薩等、法華経の題目を除きて余の法門の薬を一切衆生にさづけよ。末法に入りなば迦葉・阿難等、文殊弥勒菩薩等、薬王・観音等のゆづられしところの小乗経・大乗経並びに法華経は、文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず。所謂病は重し薬はあさし。其の時上行菩薩出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生にさづくべし。/其の時一切衆生此の菩薩をかたきとせん。所謂さるのいぬをみるがごとく、鬼神の人をあだむがごとく、過去の不軽菩薩の一切衆生にのりあだまれしのみならず、杖木瓦礫にせめられし、覚徳比丘が殺害に及ばれしがごとくなるべし。其の時は迦葉・阿難等も或は霊山にかくれ、恒河に没し、弥勒文殊等も或は都率の内院に入り、或は香山に入らせ給ひ、観世音菩薩は西方にかへり、普賢菩薩は東方にかへらせ給ふ。諸経は行ずる人はありとも、守護の人なければ利生あるべからず。諸仏の名号は唱ふるものありとも、天神これをかごすべからず。但小牛の母をはなれ、金鳥のたかにあへるがごとくなるべし。其の時十方世界の大鬼神一閻浮提に充満して四衆の身に入り、或は父母をがいし、或は兄弟等を失はん。殊に国中の智者げなる持戒げなる僧尼の心に此の鬼神入りて、国主並びに臣下をたぼらかさん。此の時上行菩薩の御かびをかほりて法華経の題目南無妙法蓮華経の五字計りを一切衆生にさづけば、彼の四衆等並びに大僧等此の人をあだむ事、父母のかたき宿世のかたき朝敵・怨敵のごとくあだむべし。/其の時大いなる天変あるべし。所謂日月蝕し、大いなる彗星天にわたり、大地震動して水上の輪のごとくなるべし。其の後は自界叛逆難と申して国主・兄弟並びに国中の大人を打ちころし、後には他国侵逼難と申して隣国よりせめられて、或はいけどりとなり、或は自殺をし、国中の上下万民皆大苦に値ふべし。此れひとえに上行菩薩のかびをかをほりて法華経の題目をひろむる者を、或はのり、或はうちはり、或は流罪し、或は命をたちなんどするゆへに、仏前にちかいをなせし梵天・帝釈・日月・四天等の、法華経の座にて誓状を立てて、法華経の行者をあだまん人をば、父母のかたきよりもなをつよくいましむべしとちかうゆへなりとみへて候に、今日蓮日本国に生まれて一切経並びに法華経の明鏡をもて、日本国の一切衆生の面に引き向けたるに寸分もたがわぬ上、仏の記し給ひし天変あり地夭あり。定めて此の国亡国となるべしとかねてしりしかば、これを国主に申すならば国土安穏なるべくは、たづねあきらむべし。亡国となるべきならばよも用ゐじ、用ゐぬ程ならば日蓮流罪・死罪となるべしとしりて候ひしかども、仏いましめて云く、此の事を知りながら身命ををしみて一切衆生にかたらずば、我が敵たるのみならず一切衆生の怨敵なり、必ず阿鼻大城に堕つべしと記し給えり。此に日蓮進退わづらひて、此の事を申すならば我が身いかにもなるべし。我が身はさてをきぬ、父母・兄弟並びに千万人の中にも一人も随ふものは国主万民にあだまるべし。彼等あだまるるならば仏法はいまだわきまえず、人のせめはたへがたし。仏法を行ずるは安穏なるべしとこそをもうに、此の法を持つによて大難出来するは、しんぬ此の法を邪法なりと誹謗して悪道に堕つべし。此れも不便なり。又此れを申さずば仏誓に違する上、一切衆生の怨敵なり。大阿鼻地獄疑ひなし。いかんがせんとをもいしかども、をもひ切って申し出だしぬ。申し始めし上は又ひきさすべきにもあらざれば、いよいよつより申せしかば、仏の記文のごとく、国主もあだみ、万民もせめき。あだをなせしかば、天もいかりて日月に大変あり。大せいせい(彗星)も出現しぬ。大地もふりかへしぬべくなりぬ。どしうちもはじまり、他国よりもせめたり。仏の記文すこしもたがわず。日蓮が法華経の行者なる事も疑わず。/但し去年かまくらより此のところへにげ入り候ひし時、道にて候へば各々にも申すべく候ひしかども申す事もなし。又先度の御返事も申し候はぬ事はべちの子細も候はず。なに事にか各々をばへだてまいらせ候べき。あだをなす念仏者・禅宗真言師等をも並びに国主等もたすけんがためにこそ申せ。かれ等のあだをなすはいよいよ不便にこそ候へ。まして一日も我がかたとて心よせなる人々はいかんがをろかなるべき。世間のをそろしさに妻子ある人々のとをざかるをばことに悦ぶ身なり。日蓮に付きてたすけやりたるかたわなき上、わづかの所領をも召さるるならば、子細もしらぬ妻子所従等がいかになげかんずらんと心ぐるし。/而も去年の二月に御勘気をゆりて、三月の十三日に佐渡の国を立ち、同月の二十六日にかまくらに入り、同じき四月の八日、平さえもの尉にあひたりし時、やうやうの事どもといし中に、蒙古国はいつよすべきと申せしかば、今年よすべし。それにとて日蓮はなして日本国にたすくべき者一人もなし。たすからんとをもわしたまうならば、日本国の念仏者と禅と律僧等の頸を切りてゆいのはまにかくべし。それも今はすぎぬ。但し皆人のをもひて候は、日蓮をば念仏師と禅と律をそしるとをもいて候。これは物のかずにてかずならず。真言宗と申す宗がうるわしき日本国の大いなる呪咀の悪法なり。弘法大師と慈覚大師、此の事にまどいて此の国を亡ぼさんとするなり。設ひ二年三年にやぶるべき国なりとも、真言師にいのらする程ならば、一年半年に此の国にせめらるべしと申しきかせて候ひき。たすけんがために申すを此れ程あだまるる事なれば、ゆりて候ひし時さどの国よりいかなる山中海辺にもまぎれ入るべかりしかども、此の事をいま一度平左衛門に申しきかせて、日本国にせめのこされん衆生をたすけんがためにのぼりて候ひき。/又申しきかせ候ひし後はかまくらに有るべきならねば、足にまかせていでしほどに、便宜にて候ひしかば、設ひ各々はいとわせ給ふとも、今一度はみたてまつらんと千度をもひしかども、心に心をたたかいてすぎ候ひき。そのゆへはするがの国は守殿の御領、ことにふじなんどは後家尼ごぜんの内の人々多し。故最明寺殿・極楽寺殿の御かたきといきどをらせ給ふなれば、ききつけられば各々の御なげきなるべしとをもひし心計りなり。いまにいたるまでも不便にをもひまいらせ候へば御返事までも申さず候ひき。この御房たちのゆきずりにも、あなかしこあなかしこ、ふじかじまのへんへ立ちよるべからずと申せども、いかが候らんとをぼつかなし。/ただし真言の事ぞ御不審にわたらせ給ひ候らん。いかにと法門は申すとも御心へあらん事かたし。但眼前の事をもて知ろしめせ。隠岐法皇は人王八十二代、神武よりは二千余年、天照太神入りかわらせ給ひて人王とならせ給ふ。いかなる者かてきすべき上、欽明より隠岐法皇にいたるまで漢土・百済新羅・高麗よりわたり来たる大法秘法を、叡山・東寺・園城・七寺並びに日本国にあがめをかれて候。此れは皆国を守護し国主をまぼらんためなり。隠岐法皇、世をかまくらにとられたる事を口をしとをぼして、叡山・東寺等の高僧等をかたらひて、義時が命をめしとれと行ぜしなり。此の事一年・二年ならず、数年調伏せしに、権の大夫殿はゆめゆめしろしめさざりしかば一法も行じ給はず、又行ずとも叶ふべしともをぼへずありしに、天子いくさにまけさせ給ひて、隠岐の国へつかはされさせ給ふ。日本国の王となる人は天照太神の御魂の入りかわらせ給ふ王なり。先生の十善戒の力といひ、いかでか国中の万民の中にはかたぶくべき。設ひとがありとも、つみあるをやを失なき子のあだむにてこそ候ひぬらめ。設ひ親に重罪ありとも子の身として失に行はんに天うけ給ふべしや。しかるに隠岐法皇のはぢにあはせ給ひしはいかなる大禍ぞ。此れひとへに法華経の怨敵たる日本国の真言師をかたらはせ給ひしゆへなり。一切の真言師は潅頂と申して釈迦仏等を八葉の蓮華にかきて此れを足にふみて秘事とするなり。かかる不思議の者ども諸山諸寺の別当とあをぎてもてなすゆへに、たみの手にわたりて現身にはぢにあひぬ。此の大悪法又かまくらに下りて御一門をすかし、日本国をほろぼさんとするなり。此の事最大事なりしかば弟子等にもかたらず、只いつはりをろかにて念仏と禅等計りをそしりてきかせしなり。今は又用ゐられぬ事なれば、身命もおしまず弟子どもに申すなり。かう申せばいよいよ御不審あるべし。日蓮いかにいみじく尊くとも慈覚・弘法にすぐるべきか。この疑ひすべてはるべからず。いかにとかすべき。但し皆人はにくみ候に、すこしも御信用のありし上、此れまでも御たづねの候は只今生計りの御事にはよも候はじ。定めて過去のゆへか。御所労の大事にならせ給ひて候なる事あさましく候。但しつるぎはかたきのため、薬は病のため。阿闍世王は父をころし仏の敵となれり。悪瘡身に出でて後、仏に帰伏し法華経を持ちしかば、悪瘡も平癒し寿をも四十年のべたりき。而も法華経は「閻浮提人・病之良薬」とこそとかれて候へ。閻浮の内の人は病の身なり、法華経の薬あり、三事すでに相応しぬ、一身いかでかたすからざるべき。但し御疑ひの御わたり候はんをば力及ばず。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。/七月十二日日蓮(花押)/御返事高橋六郎兵衛入道殿/玄乗房・はわき(伯耆)房に度々よませて、きこしめせ、きこしめせ。