乙御前母御書

〔C0・文永一〇年一一月三日・乙御前母尼(日妙聖人)〕/をとごぜんのはは日蓮/いまは法華経をしのばせ給ひて仏にならせ給ふべき女人なり。かへすがへす、ふみ(文)ものぐさき者なれども、たびたび申し候。又御房たちをもふびん(不憫)にあたらせ給ふとうけ給はる。申すばかりなし。/なによりも女房のみ(身)として、これまで来たりて候ひし事、これまでながされ候ひける事は、さる事にて、御心ざしのあらわるべきにやありけんと、ありがたくのみをぼへ候。/釈迦如来の御弟子あまたをわししなかに、十大弟子とて十人ましまししが、なかに目尊者と申せし人は神通第一にてをはしき。四天下と申して日月のめぐり給ふところを、かみすぢ(髪筋)一すぢき(切)らざるにめぐり給ひき。これはいかなるゆへ(故)ぞとたづぬれば、せんしやう(先生)に千里ありしところをかよ(通)いて仏法を聴聞せしゆへなり。又、天台大師の御弟子に章安と申せし人は、万里をわけて法華経をきかせ給ひき。伝教大師は三千里をすぎて止観をならい、玄奘三蔵は二十万里をゆきて般若経を得給へり。道のとをきに心ざしのあらわるるにや。かれは皆男子なり。権化の人のしわざなり。今御身は女人なり。ごんじち(権実)はし(知)りがたし。いかなる宿善にてやをはすらん。昔、女人はすいをと(好夫)をしのびてこそ、或は千里をもたづね、石となり木となり、鳥となり蛇となれる事もあり。/十一月三日日蓮(花押)/をとごぜんのはは/をとごぜんがいかにひとなりて候らん。法華経にみやづかわせ給ふほうこう(奉公)をば、をとごぜんの御いのちさいわいになり候はん。