土木殿御返事4

〔C0・文永一〇年一一月三日・富木常忍〕/九月九日の雁鳥、同十月二十七日飛来仕り候ひ了んぬ。抑越州嫡男並びに妻尼の御事是非を知らざれども、此の御一門の御事なれば謀叛よりの外は異島流罪は過分の事か。はた又、四条三郎左衛門尉殿の便風、今に参付せざるの条何事ぞや。定めて三郎左衛門尉殿より申す旨候か。/伊与殿の事、存外の性情にして知者なり。当時学問隙無く仕り候なり。褒美に非ず、実に器量者なり。来年正月大進阿闍梨越中に之れを遣はし去るべし。/白小袖一つ給はり候ひ了んぬ。今年日本国一同に飢渇の上、佐渡の国には七月七日已下、天より忽ちに石灰虫と申す虫の雨下り一時に稲穀損失し了んぬ。其の上疫々処々に遍満し、方々死難脱れ難きか。事々紙上に之れを尽くし難し。恐々謹言。/十一月三日日蓮(花押)/土木殿御返事