大果報御書

〔C6・文永一〇年九月頃・四条金吾〕/者どもをば少々はをひいだし、或はきしやう(起請)かかせて、はう(法)にすぎて候ひつるが、七月末、八月の始めに所領かわり、一万余束の作毛をさへかられて、山や(野)にまど(惑)ひ候ゆへに、日蓮房をばう(謗)じつるゆへかとののしり候上、御かへりの後、七月十五日より上下いしばい(石灰)と申す虫ふりて、国大体三分のうへそん(損)じ候ひぬ。をほかた人のいくべしともみえず候。これまで候をもいたたせ給ふ上、なに事もとをもひ候へども、かさねての御心ざしはう(法)にもすぎ候か。なによりもおぼつかなく候ひつる事は、とののかみの御気色いかんがとをぼつかなく候ひつるに、なに事もなき事申すばかりなし。/かうらい(高麗)・むこ(蒙古)の事うけ給はり候ひぬ。なにとなくとも釈迦如来法華経を失ひ候ひつる上は、大果報ならば三年はよもとをもひ候ひつるに、いくさ(軍)けかち(飢渇)つづき候ひぬ。国はいかにも候へ、法華経のひろまらん事疑ひなかるべし。御母の御事、経をよみ候事に申し候なり。此の御使ひいそぎ候へばくはしく申さず候。恐々。