法華真言勝劣事

〔C5・文永九~一〇年頃〕/東寺の弘法大師空海の所立に云く、法華経は猶華厳経に劣れり、何に況や大日経等に於てをや云云。慈覚大師円仁・智証大師円珍・安然和尚等の云く、法華経の理は大日経に同じ、印と真言との事に於ては是れ猶劣れるなり云云〈其の所釈余処に之れを出だす〉。/空海大日経菩提心論等に依りて、十住心を立て顕密の勝劣を判ず。其の中に第六に他縁大乗心は法相宗、第七に覚心不生心は三論宗、第八に如実一道心は天台宗、第九に極無自性心は華厳宗、第十に秘密荘厳心は真言宗なり。此の所立の次第は浅きより深きに至る。其の証文は大日経の住心品と菩提心論とに出づと云へり。然るに出だす所の大日経の住心品を見て他縁大乗・覚心不生・極無自性を尋ぬるに名目は経文に之れ有り。然りと雖も他縁・覚心・極無自性の三句を法相・三論・華厳に配する名目は之れ無し。其の上覚心不生と極無自性との中間に如実一道の文義共に之れ無し。但し此の品の初めに「云何なるか菩提。謂く如実に自心を知る」等の文之れ有り。此の文を取りて此の二句の中間に置きて天台宗と名づけ、華厳宗に劣るの由之れを存す。住心品に於ては全く文義共に之れ無し。有文有義無文有義の二句を虧(か)く信用に及ばず。菩提心論の文に於ても法華・華厳の勝劣都て之れを見ざる上、此の論は竜猛菩薩の論と云ふ事、上古より諍論之れ有り。此の諍論絶えざる已前に亀鏡に立つる事は竪(りゅう)義の法に背く。其の上、善無畏・金剛智等評定有りて大日経の疏義釈を作れり。一行阿闍梨の執筆なり。此の疏義釈の中に諸宗の勝劣を判ずるに、法華経大日経とは広略の異なりと定め畢んぬ。空海の徳貴しと雖も争でか先師の義に背くべきやと云ふ難此れ強し〈此れ安然の難なり〉。之れに依りて空海の門人之れを陳するに旁(かたがた)陳答之れ有り。或は守護経、或は六波羅蜜経、或は楞伽経、或は金剛頂経等に見ゆと多く会通すれども総じて難勢を免れず。然りと雖も東寺の末学等大師の高徳を恐るるの間、強ちに会通を加へんとすれども結句会通の術計之れ無く、問答の法に背きて伝教大師最澄弘法大師の弟子なり云云。又宗論の甲乙等旁(かたがた)論ずる事之れ有りと云云。/日蓮案じて云く、華厳宗の杜順・智儼・法蔵等、法華経の「始見今見」の文に就きて法華華厳斉等の義之れを存す。其の後澄観始今の文に依りて斉等の義を存すること、祖師に違せず。其の上一往の弁を加へ、法華と華厳と斉等なり。但し華厳は法華経より先なり。華厳経の時仏最初に法恵功徳林等の大菩薩に対して出世の本懐之れを遂ぐ。然れども二乗並びに下賤の凡夫等根機未熟の故に之れを用ゐず。阿含・方等・般若等の調熟に依りて還りて華厳経に入らしむ。此れを今見の法華経と名づく。大陣を破るに余残堅からざる如し等。然れば実に華厳経法華経に勝れたり等云云。本朝に於て勤操等に値ひて此の義を習学して後天台真言を学すと雖も旧執を改めざるが故に此の義を存するか。何に況や華厳経法華経に勝るの由は陳隋より已前、南三北七皆此の義を存す。天台已後も又諸宗此の義を存せり。但弘法一人に非ざるか。但し澄観「始見今見」の文に依りて華厳経法華経より勝ると料簡する才覚に於ては、天台智者大師涅槃経の「是経出世乃至如法華中」等の文に依りて法華・涅槃斉等の義を存するのみに非ず、又勝劣の義を存すれば此の才覚を学びて此の義を存するか。此の義若し僻案ならば空海の義も又僻見なるべきなり。/天台真言の書に云く「法華経大日経とは広略の異なり。略とは法華経なり。大日経と斉等の理なりと雖も印真言之れを略する故なり。広とは大日経なり。極理を説くのみに非ず印真言をも説ける故なり。又法華経大日経とに同劣の二義有り。謂く理同事劣なり。又二義有り。一には大日経は五時の摂なり。是れ与の義なり。二には大日経は五時の摂に非ず。是れ奪の義なり」。又云く「法華経は譬へば裸形の猛者の如し。大日経は甲冑を帯せる猛者なり」等云云。又云く「印真言無きは其の仏を知るべからず」等云云。/日蓮不審して云く、何を以て之れを知る、理は法華経大日経と斉等なりと云ふ事を。答へて云く、疏と義釈並びに慈覚智証等の所釈に依るなり。求めて云く、此等の三蔵大師等は又何を以て之れを知るや、理は斉等の義なりと。答へて云く、三蔵大師等をば疑ふべからず等云云。難じて云く、此の義論義の法に非ざる上、仏の遺言に違背す。慥かなる経文を出だすべし。若し経文無くんば義分無かるべし如何。答ふ威儀形色経・瑜祇経・観智儀軌等なり。文は口伝すべし。問うて云く、法華経に印真言を略すとは仏よりか、経家よりか、訳者よりか。答へて云く、或は仏と云ひ、或は経家と云ひ、或は訳者と云ふなり。不審して云く、仏より真言印を略して法華経大日経と理同事勝の義之れ有りといはば、此の事何れの経文ぞや。文証の所出を知らず我意の浮言ならば之れを用ゐるべからず。若し経家訳者より之れを略すといはば、仏説に於ては何ぞ理同事勝の釈を作るべきや。法華経大日経とは全体斉なり。能く能く子細を尋ぬべきなり。私に日蓮云く、威儀形色経瑜祇経等の文の如くんば仏説に於ては法華経に印真言有るか。若し爾らば、経家訳者之れを略せるか。六波羅蜜経の如きは経家之れを略す。旧訳の仁王経の如きは訳者之れを略せるか。若し爾らば、天台真言の理同事異の釈は経家並びに訳者の時より法華経大日経の勝劣なり。全く仏説の勝劣に非ず。此れ天台真言の極なり。天台宗の義勢才覚の為に此の義を難ず。天台真言の僻見此の如し。東寺所立の義勢は且く之れを置く。僻見眼前の故なり。抑天台真言宗の所立の理同事勝に二難有り。一には法華経大日経と理同の義、其の文全く之れ無し。法華経大日経と先後如何。既に義釈に二経の前後之れを定め畢りて、法華経は先、大日経は後なりと云へり。若し爾らば、大日経法華経の重説なり、流通なり。一法を両度之れを説くが故なり。若し所立の如くんば、法華経の理を重ねて之れを説くを大日経と云ふ。然れば則ち法華経大日経と敵論の時は大日経の理之れを奪って法華経に付くべし。但し大日経の得分は但印真言計りなり。印契は身業、真言は口業なり。身口のみにして意無くば印真言有るべからず。手口等を奪って法華経に付けなば、手無くして印を結び口無くして真言を誦せば、虚空に印真言を誦結すべきか云何。裸形の猛者と甲冑を帯せる猛者との譬への事。裸形の猛者の進みて大陣を破ると、甲冑を帯せる猛者の退きて一陣をも破らざるとは何れが勝るるや。又猛者は法華経なり。甲冑は大日経なり。猛者無くんば甲冑何の詮か之れ有らん。此れは理同の義を難ずるなり。次に事勝の義を難ぜば。法華経には印真言無く、大日経には印真言之れ有りと云云。印契真言の有無に付きて二経の勝劣を定むるに、大日経に印真言有りて法華経に之れ無き故に劣ると云はば、阿含経には世界建立・賢聖の地位、是れ分明なり。大日経には之れ無し。若し爾らば大日経阿含経より劣るか。双観経等には四十八願是れ分明なり。大日経に之れ無し。般若経には十八空是れ分明なり。大日経には之れ無し。此等の諸経に劣ると云ふべきか。/又印真言無くんば仏を知るべからず等云云。今反詰して云く、理無くんば仏有るべからず。仏無くんば印契真言一切徒然と成るべし。彼れ難じて云く、賢聖並びに四十八願等をば印真言に対すべからず等云云。今反詰して云く、最上の印真言之れ無くば法華経大日経等よりも劣るか。若し爾らば、法華経には二乗作仏・久遠実成之れ有り。大日経には之れ無し。印真言と二乗作仏・久遠実成とを対論せば天地雲泥なり。諸経に印真言を簡ばざるに大日経之れを説いて何の詮か有るべきや。二乗若し灰断の執を改めずんば印真言も無用なり。一代の聖教に皆二乗を永不成仏と簡ぶ、随って大日経にも之れを隔つ。皆成仏までこそ無からめ三分が二之れを捨て、百分が六十余分得道せずんば仏の大悲何かせん。凡そ理の三千之れ有りて成仏すと云ふ上には、何の不足か有るべき。成仏に於ては唖なる仏・中風の覚者は之れ有るべからず。之れを以て案ずるに印真言は規模無きか。又諸経には始成正覚の旨を談じて三身相即の無始の古仏を顕はさず。本無今有の失有れば大日如来は有名無実なり。寿量品に此の旨を顕はす。釈尊は天の一月諸仏菩薩は万水に浮かべる影なりと見えたり。委細の旨は且く之れを置く。/又印真言無くんば、祈祷有るべからずと云云。是れ又以ての外の僻見なり。過去現在の諸仏法華経を離れて成仏すべからず。法華経を以て正覚成り給ふ。法華経の行者を捨て給はば諸仏還りて凡夫と成り給ふべし。恩を知らざる故なり。又未来の諸仏の中の二乗も法華経を離れては永く枯木敗種なり。今は再生なり。華果なり。他経の行者と相論を為す時は華光如来・光明如来等は何れの方に付くべきや。華厳経等の諸経の仏・菩薩・人天乃至四悪趣等の衆は皆法華経に於て、一念三千久遠実成の説を聞いて正覚を成ずべし。何れの方に付くべきや。真言宗等と外道並びに小乗権大乗の行者等と敵対相論を為すの時は甲乙知り難し。法華経の行者に対する時は竜と虎と師子と兎との闘ひの如く、諍論分絶えたる者なり。恵亮脳を破りし時次弟位に即き、相応加持する時真済の悪霊伏せらるる等是れなり。一向真言の行者は法華経の行者に劣れる証拠是れなり。/問うて云く、義釈の意は法華経大日経共に二乗作仏・久遠実成を明かすや如何。答へて云く、共に之れを明かす。義釈に云く「此の経の心の実相は彼の経の諸法実相なり」云云。又云く「本初は是れ寿量の義なり」等云云。問うて云く、華厳宗の義に云く、華厳経には二乗作仏・久遠実成之れを明かす。天台宗は之れを許さず。宗論は且く之れを置く。人師を捨てて本経を存せば、華厳経に於ては二乗作仏・久遠実成の相似の文之れ有りと雖も、実には之れ無し。之れを以て之れを思ふに義釈には大日経に於て二乗作仏・久遠実成を存すと雖も実には之れ無きか如何。答へて云く、華厳経の如く相似の文之れ有りと雖も実義之れ無きか。私に云く、二乗作仏無くんば、四弘誓願満足すべからず。四弘誓願満ぜずんば又別願も満ずべからず。総別の二願満ぜずんば衆生の成仏も有り難きか。能く能く意得べし云云。問うて云く、大日経の疏に云く「大日如来は無始無終なり」。遥かに五百塵点に勝れたり如何。答ふ、毘盧遮那の無始無終なる事華厳・浄名・般若等の諸大乗経に之れを説く。独り大日経のみに非ず。問うて云く、若し爾らば、五百塵点は際限有れば有始有終なり。無始無終は際限無し。然れば則ち法華経は諸経に破せらるるか如何。答へて云く、他宗の人は此の義を存す。天台一家に於て此の難を会通する者有り難きか。今大日経並びに諸大乗経の無始無終は法身の無始無終なり。三身の無始無終に非ず。法華経の五百塵点は諸大乗経の破せざる伽耶の始成之れを破りたる五百塵点なり。大日経等の諸大乗経には全く此の義無し。宝塔の涌現、地涌の涌出、弥勒の疑ひ、寿量品の初めの三誡四請。弥勒菩薩領解の文に「仏希有の法を説きたまふ、昔より未だ曾て聞かざる所なり」等の文是れなり。大日経六巻並びに供養法の巻・金剛頂経蘇悉地経等の諸の真言部の経の中に、未だ三止四請三誡四請、二乗の劫国名号、難信難解等の文を見ず。問うて云く、五乗の真言如何。答ふ、未だ二乗の真言を知らず。四諦・十二因縁の梵語のみ有るなり。又法身平等に会すること有らんや。/問うて云く、慈覚・智証等理同事勝の義を存す。争でか此等の大師等に過ぎんや。答へて云く、人を以て人を難ずるは仏の誡めなり。何ぞ汝仏の制誡に違背するや。但経文を以て勝劣の義を存すべし。難じて云く、末学の身として祖師の言に背かば之れを難ぜざらんや。答ふ、末学の祖師に違する之れを難ぜば、何ぞ智証・慈覚の天台・妙楽に違するを何ぞ之れを難ぜざるや。問うて云く、相違如何。答へて云く、天台妙楽の意は已今当の三説の中に法華経に勝れたる経之れ有るべからず。若し法華経に勝れたる経之れ有りといわば一宗の宗義之れを壊るべきの由之れを存す。若し大日経法華経に勝るといわば、天台・妙楽の宗義忽ちに破るべきか。問うて云く、天台妙楽の已今当の宗義証拠経文に有りや。答へて云く、之れ有り。法華経法師品に云く「我が所説の経典は無量千万億にして、已に説き今説き当に説かん、而も其の中に於て此の法華経最も為れ難信難解なり」等云云。此の経文の如くんば、五十余年の釈迦所説の一切経の内には法華経は最第一なり。難じて云く、真言師の云く、法華経は釈迦所説の一切経の中に第一なり。大日経大日如来所説の経なりと。答へて云く、釈迦如来より外に大日如来閻浮提に於て八相成道して大日経を説けるか〈是一〉。六波羅蜜経に云く「過去現在並びに釈迦牟尼仏の所説の諸経を分かちて五蔵と為し其の中の第五の陀羅尼蔵は真言なり」。真言の経釈迦如来の所説に非ずといはば、経文に違す〈是二〉。「我が所説の経典」等の文は釈迦如来の正直捨方便の説なり。大日如来の証明、分身の諸仏広長舌相の経文なり〈是三〉。五仏の章、尽く諸仏皆法華経を第一なりと説き給ふ〈是四〉。「要を以て之れを言はば、如来の一切の所有の法、乃至皆此の経に於て宣示顕説す」等云云。此の経文の如くならば法華経は釈迦所説の諸経の第一なるのみに非ず大日如来十方無量諸仏の諸経の中に法華経第一なり。此の外一仏二仏の所説の諸経の中に法華経に勝れたるの経之れ有りと云はば信用すべからず〈是五〉。大日経等の諸の真言経の中に法華経に勝れたる由の経文之れ無し〈是六〉。仏より外の天竺・震旦・日本国の論師・人師の中に天台大師より外の人師の所釈の中に一念三千の名目之れ無し。若し一念三千を立てざれば性悪の義之れ無し。性悪の義之れ無くんば仏菩薩の普現色身、不動愛染等の降伏の形、十界の曼荼羅、三十七尊等本無今有の外道の法に同じきか〈是七〉。問うて云く、七義の中一々の難勢之れ有り。然りと雖も六義は且く之れを置く。第七の義如何。華厳の澄観・真言の一行等皆性悪の義を存す。何ぞ諸宗に此の義無しと云ふや。答へて云く、華厳の澄観・真言の一行は天台所立の義を盗みて自宗の義と成すか。此の事余処に勘へたるが如し。/問うて云く、天台大師の玄義の三に云く「法華は衆経を総括す。乃至舌口中に爛る。人情を以て彼の大虚を局(かぎ)る莫れ」等云云。釈籖の三に云く「法華宗極の旨を了せずして、声聞に記する事相のみ華厳般若の融通無碍なるに如かずと謂ふ。諫暁すれども止まず。舌の爛れんこと何ぞ疑はん。乃至、已今当の妙、茲に於て固く迷へり。舌爛れて止まざるは猶華報と為す。謗法の罪苦長劫に流る」等云云。若し天台妙楽の釈、実ならば、南三北七並びに華厳・法相・三論・東寺の弘法等舌爛れんこと何の疑ひ有らんや。乃至苦流長劫の者なるか。是れは且く之れを置く。慈覚・智証等の親り此の宗義を承けたる者、法華経大日経より劣の義存すべし。若し其の義ならば、此の人々の「舌爛口中苦流長劫」は如何。答へて云く、此の義は最上の難の義なり。口伝に在り云云。/文永元年〈甲子〉七月九日之れを記す日蓮花押