災難興起由来

〔C1・正元二年二月上旬〕/答へて曰く、爾なり。謂く夏の桀・殷の紂・周の幽等の世是れなり。/難じて云く、彼の時仏法無し。故に亦謗法者無し。何に依るが故に国を亡ぼすや。答へて曰く、黄帝孔子等治国の作方五常を以てす。愚王有りて礼教を破る故に災難出来す。/難じて云く、若し爾らば今世の災難五常を破るに依らば何ぞ必ずしも選択流布の失と云ふや。答へて曰く、仏法未だ漢土に渡らず前には黄帝五常を以て国を治む。其の五常は仏法渡りて後之れを見れば即ち五戒なり。老子孔子等も亦仏遠く未来を鑑み、国土に和し仏法を信ぜしめん為に遣はす所の三聖なり。夏の桀・殷の紂・周の幽等五常を破りて国を亡ぼすは即ち五戒を破るに当たるなり。亦人身を受けて国主と成るは必ず五戒十善に依る。外典は浅近の故に過去の修因・未来の得果を論ぜずと雖も五戒十善を持ちて国王と成る。故に人五常を破ること有れば上天変頻りに顕はれ下地妖間に侵す者なり。故に今世の変災も亦国中の上下万人多分選択集を信ずる故に、弥陀仏より外の他仏他経に於て拝信を致す者に於ては、面を背けて礼儀を致さず、言を吐きて随喜の心無し。故に国土人民に於て殊に礼儀を破り道俗禁戒を犯す。例へば阮籍を習ふ者は礼儀を亡じ、元嵩に随ふ者は仏法を破るが如し。/問うて曰く、何を以て之れを知る。仏法未だ漢土に渡らざる已前の五常は仏教の中の五戒たること如何。答へて曰く、金光明経に云く「一切世間の所有の善論は皆此の経に因る」。法華経に云く「若し俗間の経書、治世の語言、資生の業等を説かんも皆正法に順ぜん」。普賢経に云く「正法をもって国を治め人民を邪枉せず、是れを第三懺悔を修すと名づく」。涅槃経に云く「一切世間の外道の経書は、皆是れ仏説にして外道の説に非ず」。止観に云く「若し深く世法を識れば即ち是れ仏法なり」。弘決に云く「礼楽前に駆せて真道後に啓く」。広釈に云く「仏三人を遣はして且く真旦を化し、五常以て五戒の方を開く。昔大宰孔子に問うて云く、三皇五帝は是れ聖人なるか。孔子答へて云く、聖人に非ず。又問ふ、夫子は是れ聖人なるか。亦答ふ、非なり。又問ふ、若し爾らば誰か是れ聖人なる。答へて云く、吾聞く、西方に聖有り、釈迦と号す」。周書異記に云く「周の昭王二十四年〈甲寅〉の歳四月八日、江河泉池忽然として浮漲し、井水並びに皆溢れ出づ。宮殿人舎、山川大地咸(みな)悉く震動す。其の夜五色の光気有り、入りて太微を貫き四方に遍ず。昼青紅色と作る。昭王大史蘇由に問うて曰く、是れ何の怪ぞや。蘇由対へて曰く、大聖人有り、西方に生まる。故に此の瑞を現ず。昭王曰く、天下に於て何如。蘇由曰く、即時には化無し。一千年の外声教此の土に被及せん。昭王即ち人を鴿門に遣はし、石に之れを記して埋めて西郊天祠の前に在(お)く。穆王の五十二年〈壬申〉の歳二月十五日平旦、暴風忽ちに起こりて人舎を廃損し樹木を傷折し、山川大地皆悉く震動す。午後天陰り雲黒し。西方に白虹十二道あり。南北に通過して連夜滅せず。穆王大史扈多に問ふ。是れ何の徴ぞや。対へて曰く、西方に聖人有り。滅度の衰相現のみ」已上。今之れを勘ふるに金光明経に「一切世間の所有の善論は皆此の経に因る」。仏法未だ漢土に渡らず。先づ黄帝等玄女の五常を習ふ。即ち玄女の五常に因りて久遠の仏教を習ひ黄帝に国を治めしむ。機未だ熟さざれば五戒を説くとも過去未来を知らず。但現在に国を治め至孝至忠をもって身を立つる計りなり。余の経文以て亦是の如し。亦周書異記等は仏法未だ真旦に被らざる已前一千余年に人西方に仏有ること之れを知る。何に況や老子は殷の時に生まれ周の列王の時に有り。孔子老子の弟子、顔回孔子の弟子なり。豈に周の第四の昭王、第五の穆王の時、蘇由扈多記す所の「一千年の外、声教此の土に被及する」の文を知らざらんや。亦内典を以て之れを勘ふるに仏慥かに之れを記したまふ。我三聖を遣はして彼の真旦を化す。仏漢土に仏法を弘めん為に先に三菩薩を漢土に遣はし、諸人に五常を教へ仏経の初門と為す。此等の文を以て之れを勘ふるに仏法已前の五常は仏教の内の五戒なることを知る。/疑って云く、若し爾らば何ぞ選択集を信ずる謗法の者の中に此の難に値はざる者之れ有りや。答へて曰く、業力不定なり、現世に謗法を作し今世に報い有る者あり。即ち法華経に云く「此の人現世に白癩の病を得ん、乃至、諸の悪重病あるべし」。仁王経に云く「人仏教を壊らば復孝子無く、六親不和にして天神も祐けず。疾疫悪鬼日に来たりて侵害し、災怪首尾し連禍せん」。涅槃経に云く「若し是の経典を信ぜざる者有らば、○若しは臨終の時荒乱し刀兵競ひ起こり、帝王の暴虐、怨家の讐隙に侵逼せられん」已上。順現業なり。法華経に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば○其の人命終して阿鼻獄に入らん」。仁王経に云く「人仏教を壊らば○死して地獄・餓鬼・畜生に入らん」已上。順次生業なり。順後業等之れを略す。/疑って云く、若し爾らば法華真言等の諸大乗経を信ずる者何ぞ此の難に値へるや。答へて曰く、金光明経に云く「枉(ま)げて辜(つみ)無きに及ばん」。法華経に云く「横に其の殃(わざわい)に羅(かか)る」等云云。止観に云く「似解の位は因の疾少し軽くして道心転(うたた)熟す、果の疾猶重くして衆災を免れず」。記に云く「若し過現の縁浅ければ微苦も亦徴無し」已上。此等の文を以て之れを案ずるに、法華真言等を行ずる者も未だ位深からず、縁浅くして口に誦すれども其の義を知らず、一向に名利の為に之れを読む。先生の謗法の罪未だ尽きず、外に法華等を行じて内に撰択の意を存す。心に存せずと雖も世情に叶はん為に、在俗に向かひて法華経は末代に叶ひ難き由を称すれば、此の災難を免れ難きか。/問うて曰く、何なる秘術を以て速やかに此の災難を留むべきや。答へて曰く、還りて謗法の書並びに所学人を治すべし。若し爾らざれば無尽の祈請有りと雖も但費のみ有りて験無からんか。/問うて曰く、如何が対治すべきか。答へて曰く、治方も亦経に之れ有り。涅槃経に云く「仏言く、唯一人を除きて余の一切に施せ○正法を誹謗して是の重業を造る○唯此の如き一闡提の輩を除きて其の余の者に施さば一切讃歎すべし」已上。此の文より外にも亦治方有り。具に戴するに暇あらず。而るに当世の道俗多く謗法の一闡提の人に帰して讃歎供養を加ふるの間、偶(たまたま)謗法の語を学せざる者も還りて謗法の者と称して怨敵を作す。諸人此の由を知らず故に正法の者を還りて謗法の者と謂へり。此れ偏に法華経勧持品に記する所の「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に○好みて我等が過を出だし○国王・大臣・波羅門・居士に向かひて○誹謗して我が悪を説いて、是れ邪見の人外道の論議を説くと謂はん」の文の如し。仏の讃歎する所の世中の福田を捨てて、誡むる所の一闡提に於て讃歎供養を加ふ。故に弥(いよいよ)貪欲の心盛んにして謗法の音天下に満てり。豈に災難起こらざらんや。問うて曰く、謗法の者に於て供養を留め苦治を加へんに罪有りや不や。答へて曰く、涅槃経に云く「今無上の正法を以て諸王・大臣・宰相・比丘・比丘尼に付属す○正法を毀る者は王者・大臣・四部の衆当に苦治すべし○尚罪有ること無し」已上。一切衆生は螻蟻蚊虻に至るまで必ず小善有れども謗法の人には小善無し。故に施を留めて苦治を加ふるなり。/問うて曰く、汝僧形を以て比丘の失を顕はす、豈に不謗四衆と不謗三宝との二重の戒を破るに非ずや。答へて曰く、涅槃経に云く「若し善比丘ありて法を壊る者を見て、置きて呵責し駆遣し挙処せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駆遣し呵責し挙処せば、是れ我が弟子真の声聞なり」已上の文を守りて之れを記す。若し此の記自然に国土に流布せしめん時、一度高覧を経ん人は必ず此の旨を存ずべきか。若し爾らずんば大集並びに仁王経の「若し国王有りて我が法の滅せんを見て捨てて擁護せずんば○其の国の内に三種の不祥を出ださん。乃至、命終して大地獄に生ぜん。若し王の福尽きん時は○七難必ず起こらん」の責めを免れ難きか。此の文の如くんば且く万事を閣きて先づ此の災難の起こる由を慥かむべきか。若し爾らずんば仁王経の「国土乱れん時は先づ鬼神乱る。鬼神乱るるが故に万民乱る」の文を見よ。当時鬼神の乱・万民の乱有り。亦当に国土乱るべし。愚勘是の如し、取捨は人の意に任す。正元二年〈太歳庚申〉二月上旬之れを勘ふ