災難対治抄

〔C0・正元二年二月頃・兵部阿闍梨〕/国土に起こる大地震・非時の大風・大飢饉・大疫病・大兵乱等の種々の災難の根源を知りて対治を加ふべき勘文。/金光明経に云く「若し人有りて其の国土に於て此の経有りと雖も未だ嘗て流布せず、捨離の心を生じ聴聞せんことを楽はず、亦供養し尊重し讃歎せず、四部の衆、持経の人を見て亦復尊重し乃至供養すること能はず、遂に我等及び余の眷属無量の諸天をして此の甚深の妙法を聞くことを得ず。甘露の味に背き正法の流を失ひて威光及び勢力有ること無からしむ。悪趣を増長して、人天を損減し、生死の河に墜ちて、涅槃の路に乖かん。世尊、我等四王並びに諸の眷属及び薬叉等斯の如き事を見て其の国土を捨てて擁護の心無からん。但我等のみ是の王を捨棄するに非ず、必ず無量の国土を守護する諸大善神有らんも皆悉く捨去せん。既に捨離し已りなば其の国に当に種々の災禍有るべし。国位を喪失し、一切の人衆皆善心無く、唯繋縛・殺害・瞋諍のみ有りて、互ひに相讒諂し枉げて辜無きに及ばん。疫病流行し、彗星数(しばしば)出で、両日並び現じ、薄蝕恒無く、黒白の二虹不祥の相を表はし、星流れ地動き、井の内に声を発し、暴雨悪風時節に依らず、常に飢饉に遭ひ苗実も成らず、多く他方の怨賊有りて国内を侵掠し、人民諸の苦悩を受け土地所楽の処有ること無からむ」文。/大集経に云く「若し国王有りて我が法の滅せんを見て捨てて擁護せすんば、無量世に於て施戒恵を修すとも悉く皆滅失して其の国の内に三種の不祥の事を出ださん、乃至、命終して大地獄に生ぜん」。/仁王経に云く「大王、国土乱れん時は先づ鬼神乱る、鬼神乱るるが故に万民乱る」文。亦云く「大王、我今五眼をもって明らかに三世を見るに、一切の国王は皆過去世に五百の仏に侍へしに由りて帝王主と為ることを得たり。是れを為て一切の聖人羅漢而も為に彼の国土の中に来生して大利益を作さん。若し王の福尽きん時は一切の聖人皆捨去為ん。若し一切の聖人去る時は七難必ず起こらん」。仁王経に云く「大王、吾が今化する所の百億の須弥、百億の日月、一々の須弥に四天下有り。其の南閻浮提に十六の大国・五百の中国・十千の小国有り。其の国土の中に七の畏るべき難有り。一切の国王是れを難と為すが故に○云何なるを難と為す。日月度を失ひ、時節返逆し、或は赤日出で、黒日出で、二三四五の日出づ、或は日蝕して光無く、或は日輪一重二三四五重輪現ずるを○一の難と為すなり。二十八宿度を失ひ、金星・彗星・輪星・鬼星・火星・水星・風星・星・南斗・北斗・五鎮の大星・一切の国主星・三公星・百官星、是の如き諸星各々変現するを○二の難と為すなり。大火国を焼きて万姓焼尽し、或は鬼火・竜火・天火・山神火・人火・樹木火・賊火あり、是の如く変怪するを○三の難と為すなり。大水百姓を漂没して時節返逆して、冬雨ふり夏雪ふり、冬時に雷電霹靂し、六月に氷・霜・雹を雨らし、赤水・黒水・青水を雨らし、土山・石山を雨らし、沙・礫・石を雨らし、江河逆しまに流れ、山を浮かべ石を流す。是の如く変ずる時を○四の難と為すなり。大風万姓を吹き殺し、国土の山河樹木一時に滅没し、非時の大風・黒風・赤風・青風・天風・地風・火風・水風・是の如く変ずる時を○五の難と為すなり。天地国土亢陽し、炎火洞燃として、百草亢旱して、五穀登(みの)らず、土地赫然として万姓滅尽せん、是の如く変ずる時を○六の難と為すなり。四方の賊来たりて国を侵し、内外の賊起こり、火賊・水賊・風賊・鬼賊ありて百姓荒乱し、刀兵劫起せん。是の如く怪する時を○七の難と為すなり」。/法華経に云く「百由旬の内にして諸の衰患無からしむ」。涅槃経に云く「是の大涅槃微妙の経典の流布する処は、当に知るべし、其の地は即ち是れ金剛なり。是の中の諸人も亦金剛の如し」。仁王経に云く「是の経は常に千の光明を放ち千里の内をして七難起こらざらしむ」。又云く「諸の悪比丘多く名利を求め、国王・太子・王子の前に於て、自ら破仏法の因縁・破国の因縁を説かん。其の王別へずして此の語を信聴し、横に法制を作りて仏戒に依らず。是れを破仏破国の因縁と為す」。今之れを勘ふるに、法華経に云く「百由旬の内にして諸の衰患無からしむ」。仁王経に云く「千里の内を七難起こらざらしむ」。涅槃経に云く「当に知るべし、其の地は即ち是れ金剛なり、是の中の諸人亦金剛の如し」文。/疑って云く、今此の国土を見聞するに種々の災難起こる。所謂建長八年八月より正元二年二月に至るまで、大地震・非時の大風・大飢饉・大疫病等種々の災難連々として今に絶えず、大体国土の人数尽くべきに似たり。之れに依りて種々の祈請を致す人之れ多しと雖も其の験無きか。正直捨方便・多宝証明・諸仏出舌の法華経の文の「令百由旬内」、双林最後の遺言の涅槃経の「其地金剛」の文、仁王経の「令千里内七難不起」の文、皆虚妄に似たり如何。答へて曰く、今愚案を以て之れを勘ふるに、上に挙ぐる所の諸大乗経国土に在り。祈請と成らずして災難起こることは少しく其の故有るか。所謂金光明経に云く「其の国土に於て此の経有りと雖も未だ嘗て流布せず。捨離の心を生じて聴聞せんことを楽はず○我等四王○皆悉く捨て去り○其の国当に種々の災禍有るべし」。大集経に云く「若し国王有りて我が法の滅せんを見て捨てて擁護せずんば○其の国の内に三種の不祥を出ださん」。仁王経に云く「仏戒に依らざるを、是れを破仏・破国の因縁と為す○若し一切の聖人去る時は七難必ず起こらん」已上。此等の文を以て之れを勘ふるに、法華経等の諸大乗経国中に在りと雖も、一切の四衆捨離の心を生じて聴聞し供養するの志を起こさず。故に国中の守護の善神・一切の聖人此の国を捨てて去り、守護の善神・聖人等無きが故に出来する所の災難なり。/問うて曰く、国中の諸人、諸大乗経に於て捨離の心を生じて供養の志を生ぜざる事は何の故より之れ起こるや。答へて曰く、仁王経に云く「諸の悪比丘多く名利を求め、国王・太子・王子の前に於て、自ら破仏法の因縁・破国の因縁を説かん。其の王別へずして此の語を信聴し、横に法制を作りて仏戒に依らず」。法華経に云く「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に、未だ得ざるを為(こ)れ得たりと謂ひ、我慢の心充満せん○是の人悪心を懐き○国王・大臣・婆羅門・居士及び余の諸の比丘に向かひて誹謗して我が悪を説いて、是れ邪見の人、外道の論議を説くと謂はん○悪鬼其の身に入る」等云云。此等の文を以て之れを思ふに、諸の悪比丘国中に充満して破国・破仏法の因縁を説く。国王並びに国中の四衆弁へずして信聴を加ふるが故に諸大乗経に於て捨離の心を生ずるなり。/問うて曰く、諸の悪比丘等国中に充満して破国・破仏戒等の因縁を説くこと仏弟子の中に出来すべきか、外道の中に出来すべきか。答へて曰く、仁王経に云く「三宝を護る者にして転(うたた)更に三宝を滅破せんこと、師子の身中の虫の自ら師子を食ふが如し。外道には非ず」文。此の文の如くんば仏弟子の中に於て破国・破仏法の者出来すべきか。/問うて曰く、諸の悪比丘正法を壊るに相似の法を以て之れを破らんか。当に亦悪法を以て之れを破るべしと為んか。答へて曰く、小乗を以て権大乗を破し、権大乗を以て実大乗を破して師弟共に謗法破国の因縁を知らず。故に破仏戒・破国の因縁を成じて三悪道に堕するなり。問うて曰く、其の証拠如何。答へて曰く、法華経に云く「仏の方便随宜所説の法を知らずして悪口して顰蹙し数数擯出せられん」。涅槃経に云く「我涅槃の後、当に百千無量の衆生有りて、誹謗して是の大涅槃を信ぜざるべし○三乗の人も亦復是の如く無上の大涅槃経を憎悪せん」已上。勝意比丘の喜根菩薩を謗じて三悪道に堕し、尼思仏等の不軽菩薩を打ちて阿鼻の炎を招くも、皆大小権実を弁へざるより之れ起これり。十悪・五逆は愚者皆罪たることを知る。故に輙く破国・破仏法の因縁を成ぜず。故に仁王経に云く「其の王別へずして此の語を信聴せん」。涅槃経に云く「若し四重を犯し、五逆罪を作り、自ら定めて是の如き重事を犯すと知りて、而も心に初めより怖畏懺悔無く肯へて発露せず」已上。此等の文の如くんば、謗法の者は自他共に子細を知らず。故に重罪を成して国を破り仏法を破るなり。/問うて曰く、若し爾らば此の国土に於て権教を以て人の意を取りて実教を失ふ者之れ有るか如何。答へて曰く、爾なり。問うて曰く、其の証拠如何。答へて曰く、法然上人所造等の選択集是れなり。今其の文を出だして上の経文に合はせ其の失を露顕せしめん。若し対治を加へば国土を安穏ならしむべきか。選択集に云く「道綽禅師、聖道・浄土の二門を立て、聖道を捨てて正しく浄土に帰するの文○初めに聖道門とは之れに就きて二有り。一には大乗、二には小乗なり。大乗の中に就きて顕密・権実等の不同有りと雖も今此の集の意は唯顕大及以(および)権大を存す。故に歴劫迂回の行に当たる。之れに准じて之れを思ふに、応に密大及び実大を存すべし。然れば則ち今の真言・仏心・天台・華厳・三論・法相・地論・摂論、此等の八家の意正しく此に在るなり。○曇鸞法師の往生論の注に云く、謹んで竜樹菩薩の十住毘婆沙を案ずるに云く、菩薩阿毘跋致を求むるに二種の道有り。一には難行道、二には易行道なり○此の中に難行道とは即ち是れ聖道門なり。易行道とは即ち是れ浄土門なり。○浄土宗の学者先づ須く此の旨を知るべし。設ひ先より聖道門を学する人と雖も、若し浄土門に於て其の志有らん者は須く聖道を棄てて浄土に帰すべし」文。又云く「善導和尚は正雑二行を立て、雑行を捨てて正行に帰するの文。第一に読誦雑行とは、上の観経等の往生浄土の経を除く已外の大小乗顕密の諸経に於て受持読誦するを悉く読誦雑行と名づく○第三に礼拝雑行とは、上の弥陀を礼拝するを除く已外の一切諸余の仏菩薩等及び諸の世天等に於て礼拝恭敬するを悉く礼拝雑行と名づく。○私に云く、此の文を見るに須く雑を捨てて専を修すべし。豈に百即百生の専修正行を捨てて堅く千中無一の雑修雑行を執せんや。行者能く之れを思量せよ」。又云く「貞元入蔵録の中に、始め大般若経六百巻より法常住経に終るまで、顕密の大乗経総じて六百三十七部・二千八百八十三巻なり。皆須く読誦大乗の一句に摂すべし。○当に知るべし、随他の前には暫く定散の門を開くと雖も、随自の後には還りて定散の門を閉づ。一たび開きて以後永く閉じざるは唯是れ念仏の一門なり」文。又最後結句の結文に云く「夫れ速やかに生死を離れんと欲せば、二種の勝法の中に且く聖道門を閣きて選びて浄土門に入れ、浄土門に入らんと欲せば、正雑二行の中に且く諸の雑行を抛ちて選びて正行に帰すべし」已上選択集の文なり。/今之れを勘ふるに、日本国中の上下万人深く法然上人を信じ此の書をぶ。故に無智の道俗此の書の中の捨閉閣抛等の字を見て、浄土の三部経・阿弥陀仏より外の諸経・諸仏・菩薩・諸天善神等に於て捨閉閣抛等の思ひを作し、彼の仏経等に於て供養受持等の志を起こさず、還りて捨離の心を生ずる故に、古き諸大師等の建立する所の鎮護国家の道場、零落せしむと雖も護惜建立の心無し。護惜建立の心無き故に亦読誦供養の音絶え、守護の善神も法味を嘗めざる故に国を捨てて去り、四依の聖人も来たらざるなり。偏に金光明・仁王等の「一切の聖人去る時七難必ず起こらん」、「我等四王皆悉く捨去せん、既に捨離し已れば其の国当に種々の災禍有るべし」の文に当たれり。豈に諸悪比丘多く名利を求め悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲の人に非ずや。/疑って云く、国土に於て選択集を流布せしむるに依りて災難起こると云はば、此の書無き已前には国中に於て災難無かりしや。答へて曰く、彼の時亦災難有り。云く、五常を破り仏法を失ふ者之れ有る故に。所謂周の宇文・元嵩等是れなり。/難じて云く、今の世の災難五常を破りしが故に之れ起こるといはば、何ぞ必ずしも選択集流布の失に依らんや。答へて曰く、仁王経に云く「大王、未来世の中の諸の小国の王・四部の弟子○諸の悪比丘○横に法制を作りて仏戒に依らず○亦復仏像の形・仏塔の形を造作することを聴さざれば○七難必ず起こらん」。金光明経に云く「亦供養し尊重し讃歎せざれば○其の国に当に種々の災禍有るべし」。涅槃経に云く「無上の大涅槃経を憎悪す」等云云。豈に弥陀より外の諸仏諸経等を供養し礼拝し讃歎するは悉く雑行と名づくるに当たらざらんや。/難じて云く、仏法已前に国に於て災難有り。何ぞ謗法の者の故ならんや。答へて曰く、仏法已前に五常を以て国を治むるは遠く仏誓を以て国を治むるなり。礼儀を破るは仏の出だしたまへる五戒を破るなり。問うて曰く、其の証拠如何。答へて曰く、金光明経に云く「一切世間の所有の善論は皆此の経に因る」。法華経に云く「若し俗間の経書、治世の語言、資生の業等を説かんも皆正法に順ぜん」。普賢経に云く「正法をもって国を治め人民を邪枉せず、是れを第三の懺悔を修すと名づく」。涅槃経に云く「一切世間の外道の経書は、皆是れ仏説にして外道の説に非ず」。止観に云く「若し深く世法を識れば即ち是れ仏法なり」。弘決に云く「礼楽前に駆せて真道後に啓く」。広釈に云く「仏三人を遣はして且く真旦を化し、五常以て五戒の方を開く。昔大宰孔子に問うて云く、三皇五帝は是れ聖人なるか。孔子答へて云く、聖人に非ず。又問ふ、夫子是れ聖人なるか。亦答ふ、非なり。又問ふ、若し爾らば誰か是れ聖人なるや。答へて云く、吾聞く西方に聖有り、釈迦と号す」文。此等の文を以て之れを勘ふるに、仏法已前の三皇五帝五常を以て国を治む。夏の桀・殷の紂・周の幽等の礼儀を破りて国を喪すは遠く仏誓の持破に当たれるなり。/疑って云く、若し爾らば法華真言等の諸大乗経を信ずる者は何ぞ此の難に値へるや。答へて曰く、金光明経に云く「枉げて辜無きに及ばん」。法華経に云く「横に其の殃(わざわい)に羅(かか)る」等云云。此等の文を以て之れを推するに、法華真言等を行ずる者も未だ位深からず、信心薄く口に誦して其の義を知らず、一向名利の為に之れを誦す。先生の謗法の失未だ尽きず。外には法華等を行じて内には選択の心を存する。此の災難の根源等を知らざる者は此の難を免れ難きか。/疑って云く、若し爾らば何ぞ選択集を信ずる謗法者の中に此の難に値はざる者之れ有るや。答へて曰く、業力不定なり。順現業法華経に云く「此の人現世に白癩の病を得ん、乃至、諸の悪重病あらん」。仁王経に云く「人仏教を壊らば復孝子無く、六親不和にして天神も祐けず。疾疫悪鬼日に来たりて侵害し、災怪首尾し連禍せん」。涅槃経に云く「若し是の経典を信ぜざる者有らば、○若しは臨終の時荒乱し刀兵競ひ起こり、帝王の暴虐、怨家の讐隙に侵逼せられん」已上。順次生業は法華経に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば○其の人命終して阿鼻獄に入らん」。仁王経に云く「人仏教を壊らば○死して地獄・餓鬼・畜生に入らん」已上。順後業等は之れを略す。問うて曰く、如何にして速やかに此の災難を留むべきや。答へて曰く、還りて謗法の者を治すべし。若し爾らずんば無尽の祈請有りと雖も災難を留むべからざるなり。/問うて曰く、如何が対治すべき。答へて曰く、治方亦経に之れ有り。涅槃経に云く「仏言く、唯一人を除きて余の一切に施せ○正法を誹謗して是の重業を造る○唯此の如き一闡提の輩を除きて其の余の者に施さば一切讃歎すべし」已上。此の文の如きは施を留めて対治すべしと見えたり。此の外亦治方是れ多し。具に出だすに暇あらず。/問うて曰く、謗法の者に於て供養を留めて苦治を加ふるは罪有りや不や。答へて曰く、涅槃経に云く「今無上の正法を以て諸王・大臣・宰相・比丘・比丘尼に付属す○正法を毀る者は王者・大臣・四部の衆、当に苦治すべし○尚罪有ること無けん」已上。/問うて曰く、汝僧形を以て比丘の失を顕はすは罪業に非ずや。答へて曰く、涅槃経に云く「若し善比丘ありて法を壊る者を見て、置きて呵責し駆遣し挙処せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駆遣し呵責し挙処せば、是れ我が弟子真の声聞なり」已上。予此の文を見る故に「仏法中怨」の責めを免れんが為に見聞を憚らず、法然上人並びに所化の衆等の阿鼻大城に堕つべき由を称す。此の道理を聞き解く道俗の中に、少々は回心の者有り、若し一度高覧を経ん人、上に挙ぐる所の如く之れを行ぜずば、大集経の文に「若し国王有りて我が法の滅せんを見て捨てて擁護せずんば、無量世に於て施戒恵を修すとも、悉く皆滅失して其の国の内に三種の不祥を出ださん。乃至命終して大地獄に生ぜん」との記文を免れ難きか。仁王経に云く「若し王の福尽きん時は○七難必ず起こらん」。此の文に云く「無量世に於て施戒恵を修すとも悉く皆滅失す」等云云。此の文を見るに且く万事を閣きて先づ此の災難の起こる由を勘ふべきか。若し爾からざれば弥(いよいよ)亦重ねて災難起こらむか。愚勘是の如し。取捨は人の意に任す。