念仏無間地獄抄

〔C6・文永八年頃〕/念仏は無間地獄の業因なり。法華経は成仏得道の直路なり。早く浄土宗を捨て法華経を持ち、生死を離れ菩提を得べき事。法華経の第二譬喩品に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、則ち一切世間の仏種を断ぜん。其の人命終して阿鼻獄に入らん。一劫を具足して劫尽きなば更(また)生まれん。是の如く展転して無数劫に至らん」云云。此の文の如くんば方便の念仏を信じて、真実の法華を信ぜざる者は無間地獄に堕つべきなり。念仏者云く、我等が機は法華経に及ばざる間信ぜざる計りなり。毀謗する事はなし。何の科に地獄に堕つべきや。法華宗云く、信ぜざる条は承伏なるか。次に毀謗と云ふは即ち不信なり。信は道の源、功徳の母と云へり。菩薩の五十二位は十信を本と為し、十信の位には信心を始めと為し、諸の悪業煩悩は不信を本と為す云云。然れば譬喩品の十四誹謗も不信を以て体と為せり。今の念仏門は不信と云ひ誹謗と云ひ争でか入阿鼻獄の句を遁れんや。/其の上浄土宗には現在の父たる教主釈尊を捨て、他人たる阿弥陀仏を信ずる故に、五逆罪の咎に依りて、必ず無間大城に堕つべきなり。経に「今此三界皆是我有」と説き給ふは主君の義なり。「其中衆生悉是吾子」と云ふは父子の義なり。「而今此処多諸患難唯我一人能為救護」と説き給ふは師匠の義なり。而して釈尊付属の文に、此の法華経をば「付属有在」云云。何れの機か漏るべき。誰人か信ぜざらんや。而るに浄土宗は主師親たる教主釈尊の付属に背き、他人たる西方極楽世界の阿弥陀如来を憑む。故に主に背けり。八逆罪の凶徒なり。違勅の咎遁れ難し、即ち朝敵なり。争でか咎無からんや。次に父の釈尊を捨つる故に五逆罪の者なり。豈に無間地獄に堕ちざるべけんや。次に師匠の釈尊に背く故に七逆罪の人なり。争でか悪道に堕ちざらんや。此の如く教主釈尊は娑婆世界の衆生には主師親の三徳を備へて大恩の仏にて御坐します。此の仏を捨て他方の仏を信じ、弥陀・薬師・大日等を憑み奉る人は、二十逆罪の咎に依りて悪道に堕つべきなり。/浄土の三部経は、釈尊一代五時の説教の内、第三方等部の内より出でたり。此の四巻三部の経は全く釈尊の本意に非ず、三世諸仏出世の本懐にも非ず、唯暫く衆生誘引の方便なり。譬へば塔をくむに足代をゆふ(結)が如し。念仏は足代なり、法華は宝塔なり。法華を説き給ふまでの方便なり。法華の塔を説き給ひて後は、念仏の足代をば切り捨つべきなり。然るに法華経を説き給ひて後、念仏に執著するは、塔をくみ立てて後、足代に著して塔を用ゐざる人の如し。豈に違背の咎無からんや。然れば法華の序分無量義経には「四十余年未だ真実を顕はさず」と説き給ひて念仏の法門を打ち破り給ふ。正宗法華経には「正直に方便を捨てて但無上道を説く」と宣べ給ひて念仏三昧を捨て給ふ。之れに依りて、阿弥陀経の対告衆長老舎利弗尊者、阿弥陀経を打ち捨て、法華経に帰伏して、華光如来と成り畢んぬ。四十八願付属の阿難尊者も浄土の三部経を抛ち

て、法華経を受持して、山海恵自在通王仏と成り畢んぬ。阿弥陀経の長老舎利弗は、千二百の羅漢の中に智恵第一の上首の大声聞、閻浮提第一の大智者なり。肩を並ぶる人なし。阿難尊者は多聞第一の極聖、釈尊一代の説法を空に誦せし広学の智人なり。かかる極位の大阿羅漢すら尚往生成仏の望みを遂げず。仏在世の祖師此の如し。祖師の跡を踏むべくば、三部経を抛ちて法華経を信じ無上菩提を成ずべき者なり。/仏の滅後に於ては祖師先徳多しと雖も、大唐楊州の善導和尚にまさる人なし、唐土第一の高祖なり云云。始めは楊州の明勝と云へる聖人を師と為して法華経を習ひたりしが、道綽禅師に値ひて浄土宗に移り、法華経を捨て念仏者と成り、一代聖教に於て聖道・浄土の二門を立てたり。法華経等の諸大乗経をば聖道門と名づけ自力の行と嫌へり。聖道門を修行して成仏を願はん人は、百人にまれに一人二人、千人にまれに三人五人得道する者や有らんずらん、乃至千人に一人も得道なき事も有るべし。観経等の三部経を浄土門と名づけ、此の浄土門を修行して他力本願を憑みて往生を願はん者は、十即十生百即百生とて十人は十人、百人は百人、決定往生すべしとすすめたり。観無量寿経を所依と為して四巻の疏を作る。玄義分・序分義・定善義・散善義是れなり。其の外、法事讃上下・般舟讃・往生礼讃・観念法門経、此等を九帖の疏と名づけたり。善導念仏し給へば口より仏の出で給ふと云ひて、称名念仏一遍を作すに三体づつ口より出で給ひけりと伝へたり。毎日の所作には阿弥陀経六十巻、念仏十万遍、是れを欠く事なし。諸の戒品を持ちて一戒も破らず、三衣は身の皮の如く脱ぐ事なく、鉢は両眼の如く身を離さず精進潔斎す。女人を見ずして一期生、不眠三十年なりと自歎す。凡そ善導の行儀法則を云へば、酒肉五辛を制止して口に齧まず手に取らず。未来の諸の比丘も是の如く行ずべしと定めたり。一度酒を飲み、肉を食らひ、五辛等を食ひ、念仏申さん者は三百万劫が間地獄に堕つべしと禁しめたり。善導が行儀法則は本律の制に過ぎたり。法然房が起請文にも書き載せたり。一天四海善導和尚を以て善知識と仰ぎ、貴賤上下皆悉く念仏者と成れり。/但し一代聖教の大王、三世諸仏の本懐たる法華の文には「若有聞法者無一不成仏」と説き給へり。善導は法華経を行ぜん者は、千人に一人も得道の者有るべからずと定む。何れの説に付くべきや。無量義経には、念仏をば「未顕真実」とて実に非ずと言ふ。法華経には「正直捨方便但説無上道」とて、正直に念仏の観経を捨て無上道の法華経を持つべしと言ふ。此の両説水火なり、何れの辺に付くべきや。善導が言を信じて法華経を捨つべきか。法華経を信じて善導の義を捨つべきか如何。夫れ一切衆生皆成仏道法華経、一聞法華経決定成菩提の妙典、善導が一言に破れて千中無一虚妄の法と成り、無得道教と云はれ、平等大恵の巨益は虚妄と成り、多宝如来の皆是真実の証明の御言妄語と成るや。十方諸仏の上至梵天の広長舌も破られ給ひぬ。三世諸仏の大怨敵と為り、十方如来成仏の種子を失ふ、大謗法の科甚だ重し。大罪報の至り、無間大城の業因なり。之れに依りて忽ちに物狂ひにや成りけん、所居の寺の前の柳の木に登りて、自ら頸をくくりて身を投げて死し畢んぬ。邪法のたたり踵を回らさず、冥罰爰に見(あらは)れたり。最後臨終の言に云く、此の身厭ふべし諸苦に責められ暫くも休息(くそく)無しと。即ち所居の寺の前の柳の木に登り、西に向かひ願ひて曰く、仏の威神以て我を取り、観音勢至来たりて又我を扶けたまへと。唱へ畢りて青柳の上より身を投げて自絶す云云。三月十七日くびをくくりて飛びたりける程に、くくり縄や切れけん、柳の枝や折れけん、大旱魃の堅土の上に落ちて腰骨を打ち折(くじ)きて、二十四日に至るまで七日七夜の間、悶絶躄地しておめきさけびて死し畢んぬ。さればにや是れ程の高祖をば往生の人の内には入れざるらんと覚ゆ。此の事全く余宗の誹謗に非ず、法華宗の妄語にも非ず、善導和尚自筆の類聚伝の文なり云云。而も流れを酌む者は其の源を忘れず、法を行ずる者は其の師の跡を踏むべし云云。浄土門に入りて師の跡を踏むべくば、臨終の時善導が如く自害有るべきか。念仏者として頸をくくらずんば、師に背く咎有るべきか如何。/日本国には法然上人、浄土宗の高祖なり。十七歳にして一切経を習ひ極め、天台六十巻に渡り、八宗を兼学して、一代聖教の大意を得たりとののしり、天下無双の智者、山門第一の学匠なり云云。然るに天魔や其の身に入りにけん、広学多聞の智恵も空しく、諸宗の頂上たる天台宗を打ち捨て、八宗の外なる念仏者の法師と成りにけり。大臣公卿の身を捨て民百姓と成るが如し。選択集と申す文を作りて、一代五時の聖教を難破し、念仏往生の一門を立てたり。仏説法滅尽経に云く「五濁悪世には魔道興盛し、魔沙門と作りて我が道を壊乱し、悪人転(うたた)多くして海中の沙の如く、善人甚だ少なくして若しは一人若しは二人ならん」云云。即ち法然房是れなりと山門の状に書かれたり。我が浄土宗の専修の一行をば五種の正行と定め、権実顕密の諸大乗をば五種の雑行と簡(きら)ひて、浄土門の正行をば善導の如く決定往生と勧めたり。観経等の浄土の三部経の外、一代顕密の諸大乗経、大般若経を始めと為して終り法常住経に至るまで、貞元録に載す所の六百三十七部、二千八百八十三巻は皆是れ千中無一の徒ら物なり、永く得道有るべからず。難行聖道門をば門を閉じ、之れを抛ち、之れを閣き、之れを捨て浄土門に入るべしと勧めたり。一天の貴賤首を傾け、四海の道俗掌を合はせ、或は勢至の化身と号し、或は善導の再誕なりと仰ぎ、一天四海になびかぬ木草なし。智恵は日月の如く世間を照らして肩を並ぶる人なし。名徳は一天に充ちて善導に超え、曇鸞道綽にも勝れたり。貴賤上下皆選択集を以て仏法の明鏡なりと思ひ、道俗男女悉く法然房を以て生身の弥陀と仰ぐ。/然りと雖も恭敬供養する者は愚痴迷惑の在俗の人、帰依渇仰する人は無智放逸の邪見の輩なり。権者に於ては之れを用ゐず、賢哲又之れに随ふこと無し。然る間斗賀尾(とがのお)の明恵房は天下無双の智人、広学多聞の明匠なり、摧邪輪三巻を造りて選択の邪義を破し、三井寺の長吏実胤大僧正は希代の学者、名誉の才人なり、浄土決疑集三巻を作りて専修の悪行を難じ、比叡山の住侶仏頂房隆真法橋は天下無双の学匠、山門探題の棟梁なり、弾選択上下を造りて法然房が邪義を責む。加之(しかのみならず)南都・山門・三井より度々奏聞を経て、法然が選択の邪義、亡国の基たるの旨訴へ申すに依りて、人王八十三代土御門院の御宇、承元元年二月上旬に、専修念仏の張本たる安楽・住蓮等を捕縛(めしとら)へ、忽ちに頭を刎ねられ畢んぬ。法然源空は遠流の重科に沈み畢んぬ。其の時摂政左大臣家実と申すは近衛殿の御事なり、此の事は皇代記に見えたり、誰か之れを疑はん。/加之(しかのみならず)法然房死去の後も又重ねて山門より訴へ申すに依りて、人王八十五代後堀河院の御宇嘉禄三年、京都六箇所の本所より法然房が選択集並びに印版を責め出だして、大講堂の庭に取り上げて、三千の大衆会合し、三世の仏恩を報じ奉るなりとて之れを焼失せしめ、法然房が墓所をば犬神人(いぬじにん)に仰せ付けて之れを掘り出だして鴨河に流され畢んぬ。宣旨・院宣・関白殿下の御教書を五畿七道に成し下されて、六十六箇国に念仏の行者一日片時も之れを置くべからず、対馬の島に追ひ遺るべきの旨、諸国の国司に仰せ付けられ畢んぬ。此等の次第、両六波羅の注進状、関東相模守の請文(うけぶみ)等明鏡なる者なり。/嘉禄三年七月五日に山門に下されし宣旨に云く、専修念仏の行は諸宗衰微の基なり。茲に因りて代々の御門頻りに厳旨を降され、殊に禁遏を加ふる所なり。而るを頃年又興行を構へて、山門訴へ申さしむるの間、先符に任せて仰せ下さるること先に畢んぬ。其の上且つは仏法の陵夷を禁ぜんが為、且つは衆徒の欝訴を優らぐるに依りて、其の根本と謂ふを以て、隆寛・成覚・空阿弥陀仏等、其の身を遠流に処せしむべきの由、不日に宣下せらるる所なり。余党に於ては其の在所を尋捜して帝土を追却すべきなり。此の上は早く愁訴を慰(やすん)じて蜂起を停止すべきの旨、時刻を回らさず御下知有るべく候。者(ていれば)綸言此の如し。

頼隆誠恐頓首謹言。/七月五日酉刻右中弁頼隆〈奉る〉進上天台座主大僧正御房〈政所〉/同七月十三日山門に下さるる宣旨に云く、専修念仏興行の輩停止すべきの由、五畿七道に宣下せられ畢んぬ。且つは御存知有るべく候。綸言此の如く。之れを悉にす。頼隆誠恐頓首謹言。七月十三日右中弁頼隆〈奉る〉進上天台座主大僧正御房〈政所〉/殿下御教書。専修念仏の事。五畿七道に仰せて永く停止せらるべきの由、先日宣下せられ候ひ畢んぬ。而るを諸国尚其の聞こえ有り云云。宣旨の状を守りて沙汰致すべきの由、地頭守護所等に仰せ付けらるべきの旨、山門訴へ申し候。御存知有るべく候。此の旨を以て沙汰申さしめ給ふべき由、殿下の御気色候所なり。仍って執達件の如し。嘉禄三年十月十日参議範輔〈在判〉/武蔵守殿/永尊竪者の状に云く、此の十一日に大衆僉議して云く、法然房所造の選択は謗法の書なり。天下之れを止め置くべからず。仍って在々所々に持する所並びに其の印板を大講堂に取り上げて、三世の仏恩を報ぜんが為、之れを焼失せしめ畢んぬ。又云く、法然上人の墓所をば感神院の犬神人(いぬじにん)に仰せ付けて破却せしめ畢んぬ。/嘉禄三年十月十五日、隆真法橋申して云く、専修念仏は亡国の本たるべき旨文理之れ有りと。/山門より雲居寺に送る状に云く、邪師源空、存生の間には永く罪条に沈み、滅後の今は且つ死骨を刎ねられ、其の邪類住蓮・安楽は死を原野に賜ひ、成覚・薩生は刑を遠流に蒙る。殆ど此の現罰を以て其の後報を察すべし云云。嗚呼(ああ)世法の方を云へば、違勅の者と成り、帝王の勅勘を蒙り、今に御赦免の天気之れ無し。心有る臣下万民誰人か彼の宗に於て布施供養を展ぶべきや。仏法の方を云はば、正法誹謗の罪人たり、無間地獄の業類なり。何れの輩か念仏門に於て恭敬礼拝を致すべきや。庶幾はくは末代今の浄土宗、仏在世の祖師舎利弗・阿難等の如く浄土宗を抛ちて法華経を持ち、菩提の素懐を遂ぐべき者か。/日蓮花押