2018-05-09から1日間の記事一覧

実相寺御書

〔C4・建治四年一月一六日・実相寺豊前公御房〕/新春の御札の中に云く、駿河国実相寺の住侶尾張阿闍梨と申す者、玄義四の巻に涅槃経を引きて、小乗を以て大乗を破し、大乗を以て小乗を破するは、盲目の因なりと釈せらるる由、申し候なるは実にて候やらん。反…

法華初心成仏抄

〔C6・不明〕/問うて云く、八宗九宗十宗の中に何れか釈迦仏の立て給へる宗なるや。答へて云く、法華宗は釈迦所立の宗なり。其の故は、已説・今説・当説の中には法華経第一なりと説き給ふ。是れ釈迦仏の立て給ふ処の御語なり。故に法華経をば仏立宗と云ひ、…

大白牛車書

〔C6・建治三年一二月一七日〕/夫れ法華経第二の巻に云く「此の宝乗に乗じて直に道場に至る」云云。日蓮は建長五年四月二十八日、初めて此の大白牛車の一乗法華の相伝を申し顕はせり。而るに諸宗の人師等雲霞の如くよせ来たり候。中にも真言・浄土・禅宗等…

庵室修復書

〔C3・建治三年冬・九郎太郎〕/去ぬる文永十一年六月十七日に、この山のなかに、き(木)をうちきりて、かりそめにあじち(庵室)をつくりて候ひしが、やうやく四年がほど、はしら(柱)くち、かき(牆)かべ(壁)をち候へども、なをす事なくて、よる(夜)…

曾谷入道殿御返事2

〔C6・建治三年一一月二八日・曾谷入道〕/妙法蓮華経一部一巻〈小字経〉、御供養のために御布施に小袖〈二重〉・鵞目〈十貫〉・並びに扇〈百本〉。/文句の一に云く「如是とは所聞の法体を挙ぐ」。記の一に云く「若し超八の如是に非ずんば、安んぞ…

兵衛志殿御返事

〔C0・建治三年一一月二〇日・池上宗長〕/かたがたのもの、ふ(夫)二人をもって、をくりたびて候。その心ざし弁殿の御ふみに申すげに候。/さてはなによりも御ために第一の大事を申し候なり。正法・像法の時は世もいまだをとろへず、聖人・賢人も…

太田殿女房御返事

〔C6・建治三年一一月一八日・大田殿女房〕/柿のあをうらの小袖、わた十両に及んで候か。/此の大地の下は二の地獄あり。一には熱地獄。すみ(炭)ををこし、野に火をつけ、せうまう(焼亡)の火、鉄のゆ(湯)のごとし。罪人のやくる事は、大火に紙をなげ、…

兵衛志殿女房御返事

〔C6・建治三年一一月七日・池上宗長女房〕/銅の御器二つ給はり畢んぬ。釈迦仏三十の御年、仏になり始めてをはし候時、牧牛女と申せし女人、乳のかい(粥)をにて仏にまいらせんとし候ひし程に、いれてまいらすべき器なし。毘沙門天王等の四天王、四鉢を仏に…

石本日仲聖人御返事

〔C2・建治元年九月二〇日・石本日仲〕/同時に二仏に亘るか。将又一方は妄語なるか。近来の念仏者天下を誑惑するか。早々御存知有るべきか。抑駿馬一疋追遣(おく)らるる事、存外の次第か。事々見参の時を期す。恐々謹言。/九月二十日日蓮花押/石本日仲聖人…

崇峻天皇御書

〔C3・建治三年九月一一日・四条金吾〕/白小袖一領・銭一ゆひ。又富木殿の御文のみ、なによりも、かき(柿)・なし(梨)・なまひじき・ひ(干)るひじき、やうやうの物うけ取り、しなじな御使ひにたび候ひぬ。/さてはなによりも上の御いたはり(所労)なけ…

松野殿御返事

〔C6・建治三年九月九日・松野殿〕/鵞目一貫文・油一升・衣一つ・筆十管給はり候。今に始めぬ御志、申し尽くしがたく候へば法華経・釈迦仏に任せ奉り候。先立ちてより申し候。但在家の御身は余念もなく日夜朝夕南無妙法蓮華経と唱へ候ひて、最後臨終の時…

兵衛志殿御書

〔C2・弘安元年九月九日・池上宗長〕/久しくうけ給はり候はねばよにおぼつかなく候。何よりもあはれにふしぎなる事は大夫志殿と、との(殿)との御事ふしぎに候。つねざまには代すえになり候へば、聖人賢人もみなかくれ、ただざんじん(讒人)…

仏眼御書

〔C1・建治三年〕/仏眼をかり、仏耳をたまわりて、しめし候ひしかども、用ゐる事なければ、ついに此の国やぶれなんとす。白癩病の者のあまたありて、一人のしら人日蓮をにくみしかば、此の山にかくれて候。

四条金吾殿御返事2

〔C6・建治三年・四条金吾〕/法華経を本迹相対して論ずるに、迹門は尚始成正覚の旨を明かす。故にいまだ留難かかれり。本門はかかる留難を去りたり。然りと雖も題目の五字に相対する時は末法の機にかなはざる法なり。真実一切衆生色心の留難を止むる秘…

四条金吾殿御返事2

〔C6・建治三年七月以降・四条金吾〕/御文あらあらうけ給はりて、長き夜のあけ、とをき道をかへりたるがごとし。/夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり。故に仏をば世雄と号し、王をば自在となづけたり。中にも天竺をば…

日女御前御返事

〔C6・建治三年八月二三日・日女御前〕/御本尊供養の御為に鵞目五貫・白米一駄・菓子其の数送り給び候ひ畢んぬ。/抑此の御本尊は在世五十年の中には八年、八年の間にも涌出品より属累品まで八品に顕はれ給ふなり。さて滅後には正法・像法・末法の中には…

富木殿御書2

〔C0・建治三年八月二三日・富木常忍〕/妙法蓮華経の第二に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗し、経を読誦し書持すること有らん者を見て、軽賤憎嫉して結恨を懐かん。其の人命終して阿鼻獄に入らん。乃至是の如く展転して無数劫に至らん」。第七に云く…

兵衛志殿御返事

〔C0・建治三年八月二一日・池上宗長〕/鵞目二貫文、武蔵房円日を使ひにて給はり候ひ了んぬ。人王三十六代皇極天皇と申せし王は女人にてをはしき。其の時、入鹿臣(いるかのおみ)と申す者あり。あまりのをごりのものぐるわしさに王位をうばはんとふるま…

弥三郎殿御返事

〔C6・建治三年八月四日・弥三郎〕/是れは無智の俗にて候へども、承り候ひしに、貴く思ひ進らせ候ひしは、法華の第二の巻に「今此三界」とかや申す文にて候なり。此の文の意は、今此の日本国は釈迦仏の御領なり。天照太神・八幡大菩薩・神武天皇等の一切の…

上野殿御返事2

〔C2・建治三年七月一六日・南条時光〕/むぎ(麦)ひとひつ(一櫃)、かわのり五条、はじかみ(薑)六は(把)給はり了んぬ。/いつもの御事に候へばをどろかれず、めづらしからぬやうにうちをぼへて候は、ぼむぶ(凡夫)の心なり。せけん(世間)そう…

鼠入鹿事

〔C1・建治三年・富木常忍〕/已前御文御返事申し候ひしか。/鵞目一結、三年の古酒一筒給はり了んぬ。/御文に云く、安房国にねずみいるかとかや申し候ふ大魚〈或十七・八尋、或二十尋云云〉、乃至、彼の大魚を鎌倉に、乃至、家々にあぶらにしぼり候香、…

四条金吾殿御返事2

〔C2・建治三年七月・四条金吾〕/去月二十五日の御文、同じき月の二十七日の酉の時に来たりて候。仰せ下さるる状と、又起請かくまじきよしの御せいじやう(誓状)とを見候へば、優曇華のさきたるをみるか、赤栴檀のふたばになるをえたるか、めづら…

頼基陳状

〔C4・建治三年七月・江馬入道(江馬光時の惣領)〕/去ぬる六月二十三日の御下文、島田左衛門入道殿、山城民部入道殿両人の御承りとして、同二十五日謹んで拝見仕り候ひ畢んぬ。/右仰せ下しの状に云く、竜象御房の御説法の所に参られ候ひける次第、をほかた…

兵衛志殿御返事

〔C0・建治三年六月一八日・池上宗長〕/青鳧(せいふ)五貫文、送り給び了んぬ。唱へ奉る南無妙法蓮華経一返の事。恐々謹言。/六月十八日日蓮(花押)/兵衛志殿御返事

下山御消息

〔C2・建治三年六月・下山兵庫光基〕/「例時に於ては尤も阿弥陀経を読まるべきか」等云云。此の事は仰せ候はぬ已前より、親父の代官といひ、私と申し、此の四五年が間は退転無く例時には阿弥陀経を読み奉り候ひしが、去年の春の末夏の始めより、阿弥陀…

上野殿御返事2

〔C2・建治三年五月一五日・南条時光〕/五月十四日にいものかしら(芋頭)一駄、わざとをくりたびて候。当時のいもは人のいとまと申し、珠のごとし、くすりのごとし。/さてはおほせつかはされて候事、うけ給はり候ひぬ。尹吉甫(いんきっぽ)と申せし…

四条金吾殿御返事2

〔C2・建治二年・四条金吾〕/はるかに申しうけ給はり候はざりつれば、いぶせく候ひつるに、かたがたの物と申し、御つかいと申し、よろこび入りて候。又まぼ(守)りまいらせ候。/所領の間の御事は、上よりの御文ならびに御せうそく引き合はせて…

中興政所女房御返事

〔C1・建治二年四月一二日・中興政所女房〕/御ぜんは偕老同穴のちぎりあり。松さかへば藤さかへ、しはな(芝花)さかば、らむ(蘭)このみなりなん。/卯月十二日日蓮(花押)/なかをきの政所女房御返事

乗明聖人御返事

〔C0・建治三年四月一二日・大田乗明〕/相州の鎌倉より青鳧二結、甲州身延の嶺に送り遣はされ候ひ了んぬ。昔金珠女は金銭一文を木像の薄と為し、九十一劫金色の身と為りき。其の夫の金師は今の迦葉、未来の光明如来是れなり。今の乗明法師妙日並びに妻女は…

四信五品抄

〔C0・建治三年四月一〇日・富木常忍〕/青鳧一結送り給び候ひ了んぬ。/近来の学者一同の御存知に云く「在世滅後異なりと雖も、法華を修行するには必ず三学を具す。一を欠きても成ぜず」云云。余又年来此の義を存する処、一代聖教は且く之れを置く。…